ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』第3講:中世における充満の原理と内部紛争

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March 06, 24

スライド概要

第2章で説明された、人間には及びもつかない自足した完全な神様という話(異世界性) が中世神学の基本教義だったんだけれど、じゃあなぜこの世はこんなダメなの、もっといい世界を神様は作れなかったの、神様無能やーいやーい、という批判に対して、「そんなことないやい、この世は最高の完璧なんだい!」という話 (楽観論) をこじつけるには、充満の原理を持ち出さざるを得なくなり、えらい人も右往左往して屁理屈こねてた、という話。
この世は神様からあふれ出た善性で満ちていて最高なんだ、悪も善を可能にするために仕方ないんだ、という話からは、「じゃあこの世は改良の余地ないの? じゃあ何をしても無駄だろ? 悪もないんだろ?」という批判が出てきたが、これはインチキな言い逃れでかわすしかなかった。さらに、神の多面的な偉大さを見せるためにこのよの生物は多様だ、という話が出てきたけど、「じゃあ神様みないでも、この世のいろんなものを愛でているだけで神様の善性を愛でることになるのか!」という議論には「いやそうじゃないから、やっぱ神様見てなさい!」と逃げるしかなかった。
でも、中世神学はなぜか神秘主義/唯識論には逃げなかった。意識的な選択ではなかったけれど、それは実りの多い選択ではあった。

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各ページのテキスト
1.

『存在の大いなる連鎖』 第3講:中世における充満の 原理と内部紛争 アーサー・O・ラヴジョイ をもとに 山形浩生が作成 クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 1

2.

異世界性と充満の原理の対立は中世も続く • 中世の公認教義は異世界性:神さまは至高で自足。人間やこの世はクズ! • でも充満の原理が何かと顔を出した:! • アベラールもアウグスティヌスもトマス・アクィナスも、ふとした拍子に充満の原 理に頼る • 神さま最高というためにこの世を貶めすぎると、なんで神さまはそんなクズを作っ たのか、という話になる。でもこの世に神の善性が充満すると、至高の神の絶対性 がヤバくなる。 • 結局あわてて公認教義に戻り、支離滅裂な屁理屈でごまかすばかり • 中世は神秘主義で対立を解決するより豊穣な曖昧さを選んだ • でも中世キリスト教は、東洋的な「すべて幻想」論には走らなかった • 矛盾を承知しつつ、この世の現実をなんとか充満の原理で救おうとした クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 2

3.

神はもっとよい世界を 作れたか? • 作れたんなら、この世界で神さまは手抜きしたの? →してねえよ! これが最高の世界! これ以上いいものなし! 神さまの善性が満ちてるんだからな!(充満の原理) 悪いものは、 他のものがよくなるために必要なだけ! 神さまなめんな!(楽 観論) • え、だったら悔い改めたりとかしなくていいの? 悪人もそのまま でいいの? この異端! 「屁理屈で悪かったなあ、テメー」 とトマス・アクィナス • (アベラールは死後に異端呼ばわりされた。アウグスティヌスは トマス・アクィナスはそれを避けるため屁理屈でごまかした) クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 3

4.

神様は多様性を重視して、 それが位階の連鎖となる • この世は神様の偉大さ/善性の表現 • 神様の偉大さは、一つのものでは表現しきれないので多種多様なも のがあるんだ! • それが無限に連続した位階を作ってる。それは神様の善性のあらわ れなんだ! (充満の原理/連続性の原理) • その位階のハシゴは神様に到達できるんだ! • 科学でその位階を見たり、芸術でそれを模倣したりするのも神様の 崇拝! • そう言いつつ「でも、やっぱ大事なのは完璧で偉大で不変な神様のこと を考えることですからね。クズなこの世のことは考えなくていいから」 というのが正統教義 • (なお、神様の善性とか愛は、好き好きチュッチュの話ではないので要注 意! すべてにあふれて満ちる、というのが善性/愛の意味です) ポルピュリオス (3世紀ギリシャの人) の樹。物質から生命クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 体、動物、人間、天まで示した系統樹 4

5.

この発想はずっと後にも影響した • (この章、後半は「中世的な思想がよく出ている」と称して、ダ ンテとかベラルミーノとかフラッドとか、14世紀-18世紀の論 者の引用が続くばかり)) • (特に17世紀のフラッドでは、異世界的な不変の至高の神が、 むしろ動きのない死と停滞と虚無の存在にされるという逆転ま で起こっている) クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 5

6.

中世哲学は敢えてこの矛盾を放置 • 東洋の唯幻論/唯識論みたいな神秘主義に陥れば、この矛盾は回避で きる。 • 西洋哲学にもそのくらいの神秘主義はあった。 でも西洋神学はその道を(なぜか)とらなかった。屁 理屈をこねても、不整合を十分理解していても、 「実りの多い不整合性支持」を堅持し続けた。 • (アウグスティヌスはマニ教からの改宗で、敢えてこの不整合の道を選んだ) クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 6

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• 中世で何か変化があったわけではない。そ の意味で、ちょっと退屈な章。 (訳していて の感想) • 唯一最後の、西洋はこの思想的な対立と矛 盾をなぜか捨てなかった (そしてそれがむ しろ実りの多い結果をもたらした) という 指摘はおもしろいところ。非常にさりげな い書き方だけど、重要なポイント。 • とはいえ、それは意識的な選択ではない かった。なぜそんな矛盾を放置したのか、 という説明はない。ちょっとがっかり。 クリエイティブコモンズ:表示 4.0 国際 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja 7