西洋美術史ゼミ第十回:バロック美術

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April 21, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。私は理系の学生なので厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けたつもりです。今回はバロック美術について扱っています。以下のURLからスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe

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理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

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各ページのテキスト
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西洋美術史ゼミ 第10回 バロック美術 発表者 あまずん 1

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発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。 2

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ゼミについて • 週1回程度で美術出版社「増補新装 カラー版 西洋美術史」を一章ずつ 読み進め、内容をまとめ発表します。 • また、高校世界史に沿う形で当時の 出来事についても説明します。 • そのため、世界史と美術史を同時に 学ぶことができるため、歴史が好き な方も美術が好きな方も学びを深め ることができます。 3

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前回の内容 • 16世紀のネーデルラント美術では、 アントワープを中心としてマサイス、 ボス、ブリューゲルが活動した。 • ルターやカルヴァンによって宗教改 革が起こり、主権国家の形成を促進 した。 • ドイツではデューラーによりルネサ ンスが興り、絵画と版画が盛んに制 作された。 ブリューゲル《バベルの塔》

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本日の内容 世界史について • 主権国家の成立 美術について • バロック美術 5

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本日の内容 • 世界史:主権国家の成立 • 世界史:17~18世紀のヨーロッパ文化 • 美術史:バロック美術 6

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全体の概略 • 近世では宗教的な権威が動揺し、諸国が自国の利害を求めて戦 争を繰り返した。このような状況下で、各国は徴税と常備軍の 必要性を認識し、現代的な主権国家の形成が進んだ。 • 美術では、対抗宗教改革の影響を受け、カラヴァッジョの登場 とともに劇的で動的なバロック美術が始まった。 • 今回は歴史がメインで、美術についてはバロックのさわりの部 分のみを扱います。 7

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世界史:主権国家の成立まとめ 構成は以下の通りです。 • 主権国家の成立 • イタリア戦争 • スペイン • オランダの独立 • フランス • 17世紀の危機と三十年戦争 • 東ヨーロッパの新しい動き • 17~18世紀の文化

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主権国家の成立(1) • 近世のヨーロッパでは、カトリック 教会や神聖ローマ帝国が持っていた 普遍的権威が動揺した。 • そして、諸国は自国の利害を求めて 戦争と妥協を繰り返した。増大する 兵員と軍事費の調達のために、各国 は徴税気候や官僚制を整備し、国内 の統一的支配を強める必要があった。 • この過程で多くの国は自らの支配領 域を国境で囲み、主権国家が生まれ た。 By Lateiner - Own work based on: BlankMap-WorldMicrostates.svg, source from UN (Taiwan: [1]), CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3720474 国連加盟国

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主権国家の成立(2) • 主権国家の形成期に、スペイン・フ ランス・イギリスなど、絶対王政と 呼ばれる国王を中心とした強力な統 治体制が生まれた。 • 絶対王政では重商主義政策が展開さ れ、国家が積極的に経済活動に介入 し、多くの官僚と常備軍を維持する ための財政資金を獲得した。 エリザベス1世

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イタリア戦争(1) • 15世紀末以降、ヨーロッパの有力諸 国は東方からオスマン帝国の圧力を 受けるなかで、アメリカ大陸やアジ アへの海外進出を競い合い、また領 土や宗教を理由としてしばしば戦う こととなった。 • 1494年、フランス王がイタリアに侵 入するとイタリア政策を行っていた 神聖ローマ帝国がそれに敵対し、イ タリア戦争が起こった。 不明(フランドルの画家)《パヴィアの戦い》

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イタリア戦争(2) • 神聖ローマ帝国位を持つハプスブル ク家とフランスのヴァロア家の間の 対立は、イタリアの小国家やローマ 教皇だけではなく、イギリスなどイ タリア外の国を巻き込んで16世紀半 ばまで続いた。 • 両国は共倒れになり、1559年に戦争 は終結したが、ハプスブルク家とフ ランス王家の対立は以後のヨーロッ パにおける重要な対立軸となった。 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2998639に よる ハプスブルク家の紋章

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スペイン • 各国の事例について見ていく。 • スペインにおいては、フェリペ2世 (在位1556~98)の時代に最盛期を 迎え、オスマン帝国をレパントの海 戦で破るなどしてアジア貿易を手中 にし、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれ た。 • しかし、オランダ・イギリスなどの 新興国の攻撃を受け、その力は低下 していった。 アントニス・モル《フェリペ2世》

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オランダの独立(1) • ネーデルラントでは北部を中心にカ ルヴァン派が広まっていたが、占領 していたフェリペ2世はカトリックを 強制し、また重税を課した。 • その結果、スペインとの間で独立戦 争(オランダ独立戦争/八十年戦争) が始まり、イギリスの支援もあり、 ネーデルラント連邦共和国が独立し た。 • 右の人物は独立戦争の指導者である。 アントニス・モル《オラニエ公ウィレム1世》 》

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オランダの独立(2) • 豊かなオランダが反乱を起こしたこ とは、スペインにとって大きな打撃 だった。 • さらに、独立を支援したイギリスを 攻撃するため、スペインは1588年に 無敵艦隊を送った(アルマダの海 戦)が、イギリス海軍に敗れ制海権 を奪われた。 フィリップ・ジェイムズ・ ド・ラウザーバーグ《無敵艦隊の敗北》

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イギリスの海外進出 • イギリスの王権はテューダー朝のも とで強化され。エリザベス1世のもと で新教国としての国民意識が形成さ れ、全盛期を迎えた。 • イギリスでは、領主や地主が農地を 農民から取り上げて牧場にする囲い 込みが行われ、毛織物工業が国民産 業となった。1600年の東インド会社 設立はこれを背景としている。 エリザベス1世

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フランス(1) • フランスではユグノー(フランスの カルヴァン派)が勢力を強め、カト リックとの対立が深刻化していた。 • この状況下で、新旧両派や貴族間の 対立が絡んだユグノー戦争(1562~ 98)が起こった。 • この戦争は、ユグノーの指導者アン リ4世が即位しブルボン朝を開くと、 彼はカトリックに改宗し、ナントの 王令でユグノーに信仰の自由を認め させて終結した。 アンリ4世

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フランス(2) • ルイ13世の時代(在位1610~43)、 王権に抵抗するユグノーや大貴族を 抑圧しており、ルイ14世(在位1643 ~1715)が即位した後も王権強化に 反対する貴族の反乱を鎮圧した。 • ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、 ヴェルサイユ宮殿を建造し華やかな 宮廷生活を営んだものの、経済政策 や侵略戦争の失敗により、フランス の財政は悪化していった。 ルイ14世

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17世紀の危機と三十年戦争(1) • 17世紀前半に、16世紀から続いてい た経済成⾧がとまり、ヨーロッパは 凶作、布教、疫病、人口の停滞、減 少などに見舞われた。 • 多くの国で戦争や反乱が起こったが、 なかでもドイツの危機は深刻で、三 十年戦争と呼ばれる、外国も介入す る大規模な戦乱という形をとって現 れた。 スネイエルス《白山の戦い》

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17世紀の危機と三十年戦争(2) • 新旧両派の宗教対立はアウクスブル ク宗教和議(諸侯はカトリック派と ルター派の選択可能)の後も続いて いた。 • 1618年、ボヘミア(現在のチェコ) で新教徒がハプスブルク家のカト リック政策に対抗して反乱を起こし、 三十年戦争が起こった。 • 戦争の原因は宗教対立だったが、後 半はヨーロッパの覇権をめぐる国際 戦争に発展した。 ジャック・カロ《戦争の惨禍》

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17世紀の危機と三十年戦争(3) • 三十年戦争の主な対立軸はハプスブ ルク家対フランスであり、ドイツを 中心に起こった。これは最後にして 最大の宗教戦争であった。 • ウェストファリア条約によって終結 したこの戦争であったが、結果ドイ ツは荒廃し、神聖ローマ帝国が事実 上解体され、プロイセンとオースト リアという主権国家が形成された。 Map_Thirty_Years_War-fr.svg: historicairderivative work: P. S. Burton (talk) - Map_Thirty_Years_War-fr.svg, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12088443による 三十年戦争の勢力図

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東ヨーロッパの新しい動き • 三十年戦争が終わるとプロイセンが 急激に成⾧した。 • プロイセンは17世紀初めに成立する ことになるが、それに先立つ15~16 世紀はユンカーと呼ばれる領主層が 農民支配を強化した。 • ロシアでは、雷帝と呼ばれたイヴァ ン4世が中央集権化を進め、絶対王政 の基礎を作った。その後、ミハイル =ロマノフが即位しロマノフ朝が成 立した。 イヴァン4世

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本日の内容 • 世界史:主権国家の成立 • 世界史:17~18世紀のヨーロッパ文化 • 美術史:バロック美術 23

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17~18世紀の文化:科学 • 多少時代は前後するが、17世紀~18 世紀の文化について触れる。 • 科学において、ニュートンの万有引 力の発見をはじめとする新たな発見 や探求が行われた。 • ニュートン以外の主な科学者に 1. ボイル(ボイルの法則) 2. ライプニッツ(微積文学) 3. リンネ(分類学) などがいる アイザック・ニュートン

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17~18世紀の文化:哲学 • 自然科学が主張する科学的真理は、中世 以来の宗教的な真理観とは異質なもの だった。そこで、哲学者は科学的真理を 基礎づける努力を行った。 • 主な思想は以下である。 1. 経験論(ベーコン、ロック) 2. 合理論(デカルト、スピノザ、ライプ ニッツ) 3. 啓蒙思想(ヴォルテール、ディドロ) 4. ドイツ観念論(カント) ルネ・デカルト

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17~18世紀の文化:社会科学 • 社会科学においても多くの発展が あった。 1. 王権神授説(ボシュエ) 2. 自然法思想(グロティウス『戦争と 平和の法』) 3. 社会契約論(ホッブス、ロック、ル ソー) 4. 経済理論(アダム=スミス『国富 論』) アダム・スミス

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17~18世紀の文化:芸術・文学 • 芸術においては、バロック芸術とロ ココ美術が展開された。 • バロックは豪華で華麗なもので、 ルーベンス、ベラスケス、レンブラ ント、フェルメールが活躍した。ま た、音楽においてはバッハやヘンデ ルが活動し、建築ではヴェルサイユ 宮殿が建設された。 • ロココ美術は繊細で優雅なもので あった。 フェルメール《牛乳を注ぐ女》

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17~18世紀の文化:文学 • 最後に、文学について触れる。 • フランスでは、ルイ14世紀の時代に 規則と調和を重視する古典主義が生 まれた。 • イギリスではミルトンの『失楽園』 や、デフォーの『ロビンソン・ク ルーソー』、スウィフトの『ガリ ヴァー旅行記』が書かれた。 《デフォーの肖像画》

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本日の内容 • 世界史:主権国家の成立 • 世界史:17~18世紀のヨーロッパ文化 • 美術史:バロック美術 29

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バロック美術とは何か • 17世紀の美術はバロック美術と呼ば れる。その由来は定かではないが、 後世の18世紀では「規範からの逸 脱」を意味して用いられていた。 • バロック美術の特徴は動的で劇的な 様式である。 • 現実への関心が強まり、宗教画や神 話画がより現実的な表現を取るよう になったばかりではなく、風俗画や 風景画、静物画など現実に密着した 絵画ジャンルが成立した。 レンブラント《夜警》

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イタリアのバロック美術(1) • バロック美術が花開き、円熟したの はイタリアのローマであった。 • 16世紀のカトリック改革の影響によ る美術の改革と振興はバロック様式 へと成⾧し、その後この様式は西洋 中に広がることになる。 • 閉鎖的な宮廷で営まれたルネサンス 美術に対し、外に拡張する運動性を はらんでいたバロック美術は最も西 洋らしい美術ともいえる。 カラヴァッジョ《ホロフェルネスの首を斬る ユーディット 》

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イタリアのバロック美術(2) • イタリアについては以下の通りに展 開していくが、今回は②まで扱う。 ① カトリック改革(対抗宗教改革) ② カラヴァッジョ ③ カラッチとボローニャ派 ④ 盛期バロックと天井画 ⑤ ベルニーニとボロニーニ(建築) カラヴァッジョ《ロザリオの聖母》

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対抗宗教改革(復習) • 宗教改革の進展を前に、カトリック 教会は教義の明確化と内部革新を通 じて教会を立て直そうとした。 • 1534年にイグナティウス=ロヨラや フランシスコ=ザビエルらによって イエスズ会が結成された。この会は 教皇の許可を受け、海外でも積極的 な宣教を行っている。 • また、この時代は新旧教徒の対立の 激化から魔女狩りも行われた。 フランシスコ=ザビエル

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カトリック改革(1) • 16世紀初頭に起こった宗教改革は宗 教美術を偶像視して禁止し、新教国 ではイコノクラスムの嵐が吹き荒れ た。 • これに対して、カトリック側は理性 よりも感情に訴えて信仰心を昂揚さ せようとした。そして、古い図像が 復活するとともに、新たな図像が生 み出されるようになった。 《マリア十五玄義図》

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カトリック改革(2) • さらに、1600年の聖年は文化的に大 きな転換点となった。カタコンベが 発見され、初期の教会史が編纂され るなどして初期キリスト教時代の文 化と歴史が見直された。 • こうした状況下で、古刹が修復され たり、新しい教会が建設されるなか で、大規模な事業を目当てに多くの 芸術家がローマに集まった。そして、 様々な伝統が混ざり合い、壮麗なバ ロック美術が生まれたのである。 I, Alejo2083, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2449146による 《イル・ジェズ聖堂》

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カラヴァッジョ(1) • 16世紀後半、カトリック改革が進む と、多くの聖堂や宮殿が建設され、 美術の需要が高まった。 • しかし、当時のローマ画壇はマニエ リスムが席巻しており、概して個性 に乏しかった。 • こうしたなかで、写実性と劇的な明 暗対比と特徴とするカラヴァッジョ の登場は非常な衝撃を与えた。 レオーニ《カラヴァッジョの肖像画》

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カラヴァッジョ(2) • カラヴァッジョは風俗画を描いたば かりでなく、宗教画の人物をも現実 感あふれる庶民の姿で表した。 • 『聖マタイの召命』がこの様式で描 かれた絵画で最も有名なもので、写 実的な描写と強烈な明暗対比が組み 合わさったこの絵画は大きく評判に なった。この作品はバロック美術の 扉を開いた記念碑的な作品でもある。 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

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カラヴァッジョ(3) カラヴァッジョ《果物籠を持つ少年》 カラヴァッジョ《キリストの捕縛》

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カラヴァッジョ(4) • カラヴァッジョは短い活動期間に甚 大な影響を与え、多くの追従者を生 み出した。 • 彼の模倣者はカラヴァッジェスキと 呼ばれ、彼の写実的把握と劇的な明 暗対比を多くの地域にに広めた。 • 著名なカラヴァッジェスキとして、 オラツィオ・ジェンティレスキがい る。 オラツィオ《リュートを弾く娘》

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本日のまとめ • 宗教的な普遍的権力が動揺し、経済 的・軍事的な重要性から主権国家が 形成され始めた。 • そのような状況下で新教と旧教の対 立による三十年戦争が始まり、次第 に大規模な戦争に発展していった。 • カラヴァッジョの登場により、劇的 で動的なバロック美術の扉が開いた。 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

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次回の内容 • 次回はバロック美術・ロココ美術に ついて扱います。カラヴァッジョの 登場以後、国際的に広まったバロッ ク美術は様々に発展し、ベラスケス やルーベンス、レンブラントやフェ ルメールのような著名な画家が活動 することとなります。 • 関連ワード 1. ベラスケス『ラス・メニーナス』 2. レンブラント『夜警』 ベラスケス『ラス・メニーナス』 41