西洋美術史ゼミ第十三回:ロマン主義と写実主義

2.6K Views

June 11, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。今回はロマン主義・写実主義(レアリスム)について扱っています。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けたつもりです。以下のURLからスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe

profile-image

理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

シェア

埋め込む »CMSなどでJSが使えない場合

関連スライド

各ページのテキスト
1.

西洋美術史ゼミ 第13回 ロマン主義・写実主義 発表者 あまずん 1

2.

発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。 2

3.

ゼミについて • 週1回程度で美術出版社「増補新装 カラー版 西洋美術史」を一章ずつ 読み進め、内容をまとめ発表します。 • また、高校世界史に沿う形で当時の 出来事についても説明します。 • そのため、世界史と美術史を同時に 学ぶことができるため、歴史が好き な方も美術が好きな方も学びを深め ることができます。 3

4.

前回の内容 • 19世紀にフランス革命が起こりまし た。身分格差と財政危機を原因とす るこの市民革命により、封建的特権 が廃止され、また共和制が成立しま した。その後ナポレオンの台頭によ り帝政が開始されましたが、周辺諸 国からの反発に遭い彼は没落してい きました。 • 帝政以前の時代には新古典主義が流 行し、思弁的で線的な絵画が流行し ました。 アングル《グランド・オダリスク》

5.

本日の内容 世界史について • 産業革命(事前) • アメリカ独立戦争(事前) • ウィーン体制の成立 • 19世紀のヨーロッパ文化 美術について • ロマン主義・写実主義 5

6.

全体の概略 • フランス革命とナポレオン政治の反動として、復古的なウィー ン体制が成立しました。しかし市民は自由主義・ナショナリズ ムの実現を求め、七月革命により体制は破綻することとなりま す。その後フランスでは二月革命が起こり、共和制が成立しま した。 • 新古典主義の反動として、個人の感情・個性・自由を重視する ロマン主義が勃興しました。また、産業革命による貧富の差へ の不満から、現実の生活に美を見出そうとする写実主義が興り ました。 6

7.

本日の内容 • 世界史:ウィーン体制のヨーロッパ • 世界史:19世紀のヨーロッパ文化 • 美術史:ロマン主義・写実主義 7

8.

ウィーン体制の成立:CONTENTS ① ② ③ ④ 概略 ウィーン体制の成立 ウィーン体制の動揺と七月革命 ウィーン体制の崩壊

9.

ウィーン体制の成立:概略 • フランス革命とナポレオン戦争のあ と、その反動として王侯貴族を中心 とするウィーン体制が成立した。 • しかし、復古的・反動的なウィーン 体制に対し諸国民は各地で自由主 義・ナショナリズムの実現を求める 運動を起こし、七月革命によ体制は 破綻した。 • その後、二月革命が起こり共和政が 成立したものの、反動が起こり諸国 の自由主義運動は鎮圧された。 ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

10.

ウィーン体制の成立 • 1814年9月から、フランス革命とナポ レオン戦争(ナポレオンの関わる戦 争の総称)による混乱の後処理のた めにウィーン会議が開かれた。 • 各国の利害が対立し、議会は紛糾し た(会議は踊る、されど進まず)。 しかし、1815年6月にウィーン議定書 が調印された。これによってブルボ ン王朝の復活などが行われ、王侯貴 族を中心とする保守反動体制である ウィーン体制が成立した。 ウィーン会議の条約

11.

ウィーン体制の動揺と七月革命(1) • 復古的・反動的なウィーン体制に対 し、諸国民は各地で自由主義・ナ ショナリズムの実現を求める運動を 起こした。 • フランスでは、ブルボン朝のルイ18 世と、次いだ弟シャルル10世が反動 的な政治を進めていた。1830年、 シャルル10世の政治への抗議として パリの民衆は蜂起し、国王は亡命す る(七月革命)。 ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

12.

ウィーン体制の動揺と七月革命(2) • その後、自由主義者で知られたルイ =フィリップが王に迎えられ、七月 王政が成立した。 • この革命の影響で、ベルギーがオラ ンダから独立した。ほかにポーラン ド、ドイツ、イタリアでも反乱が起 こったが鎮圧された。しかし、これ により西欧諸国は自由主義的性格を 強めた。 • 自由主義 人が何物にも拘束され ず幸福と安全のために 自由に行動できるよう になるべきという思想。 • ナショナリズム(国 民主義) ある民族や複数の民族 が国家を形成し、独立 することを目指す思想。

13.

ウィーン体制の崩壊(1):概略 • 19世紀前半、イギリスにつづいてフ ランスでも産業革命が本格化した。 • これにより人々は古い社会的規制か ら徐々に解放されたが、新しい社会 は未成熟で雇用が不十分だった。こ れに加えて人口増加による貧民層の 拡大や、凶作や不況などの要因によ り革命的気運が高まった。 • そして、1848年に制限選挙を原因と して二月革命が起こった。 フランス二月革命

14.

ウィーン体制の崩壊(2) • 七月王政下のフランスでは、銀行家 などの一部の富裕層に富が集中して おり、選挙権も多額納税者に制限さ れていた。 • この状況に対する改革を求めたが拒 否されたことが二月革命の直接の要 因である。発生した民衆蜂起の結果 国王は亡命し、共和政の臨時政府が 成立した。この革命を二月革命と呼 び、政治体制は第二次共和制と呼ば れる。 ヴェルネ《スルロ通りのバリケード》

15.

ウィーン体制の崩壊(3) • 臨時政府では共和主義者が中心だっ たが社会主義者も入閣していた。し かし有権者は保守的であったため大 敗した。 • 1848年に大統領選でルイ=ナポレオ ンが当選した。彼は1851年にクーデ ターを起こし独裁権を握り、翌1852 年に皇帝に就任。ナポレオン3世と 称した(第二帝政)。 カバネル《ナポレオン3世》

16.

ウィーン体制の崩壊(4) • 二月革命はヨーロッパ各地に波及し、自 由主義・ナショナリズムの運動が高揚し た。この状況は諸国民の春と呼ばれ、 ウィーン体制の崩壊とみなされている。 • ヨーロッパ各地で起こった革命は1848 年革命と総称されているが、この後王権 や保守勢力が復権し、反動体制が成立し た。また、これ以降西欧では自由主義・ 民主主義による政治改革が、東欧ではナ ショナリズムによる民族自立が目標とな り、以後それぞれ異なる方向に向かった。 ベルリン三月革命

17.

本日の内容 • 世界史:ウィーン体制のヨーロッパ • 世界史:19世紀のヨーロッパ文化 • 美術史:ロマン主義・写実主義 17

18.

19世紀のヨーロッパ文化:概略 • フランス革命とその社会がもたらし た政治的・社会的激変のために、文 化の領域においても宮廷文化から市 民文化が主流となった。 • 市民文化は貴族文化の成果を広く国 民に伝える役割を果たし、それぞれ の言語や歴史を重視する国民文化の 基礎を作った。 • 資本主義の拡大、国民国家の成立を 背景にした市民文化と近代諸科学の 発展により、近代文化が発展した。 ルノワール 《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

19.

19世紀のヨーロッパ文化:文芸潮流 ①古典主義 古代ギリシア・ローマ文化を理想とし調和のとれた美を追求した。 ②ロマン主義 古典主義を否定し、中世や民族文化を称え、人間の感情・情熱・ 想像力を自由に表現する。 ③写実主義・自然主義 写実主義は人間や社会を直視し、現実をありのままに描き、自然 主義はそこから進み社会の矛盾や人間の悪を描いた。 ④世紀末 写実主義・自然主義への反動から文学では象徴主義・耽美主義が、 絵画では印象派が生まれた。

20.

19世紀のヨーロッパ文化:文学 • ゲーテ(古典主義:『ファウスト』) • ハイネ(ロマン主義:『歌の本』) • ユーゴ―(ロマン主義:『レ=ミゼラブル』) • プーシキン(ロマン主義:『大尉の娘』) • ドストエフスキー(写実主義:『罪と罰』) • モーパッサン(自然主義:『女の一生』) • トルストイ(写実主義:『戦争と平和』) • ワイルド(世紀末文学:『サロメ』) ゲーテ

21.

19世紀のヨーロッパ文化:美術 • ダヴィッド/アングル(古典主義:略) • ドラクロワ(ロマン主義:『民衆を導く自由の女神』) • ミレー(写実主義:『落穂拾い』) • モネ(印象派:『睡蓮』) • セザンヌ(ポスト印象派:『大水浴図』) • ゴッホ(ポスト印象派:『ひまわり』) • ロダン(彫刻:『考える人』・『地獄門』)

22.

19世紀のヨーロッパ文化:音楽 • 古典主義 1. ベートーヴェン 2. モーツァルト • ロマン主義 1. シューベルト 2. ショパン • 印象派 1. ドビュッシー ベートーヴェン

23.

19世紀のヨーロッパ文化:哲学 • ヘーゲル(ドイツ観念論:「弁証法」) • マルクス(唯物論/社会主義) • ベンサム/ミル(量的/質的功利主義) • コント(実証主義) • キルケゴール(実存主義:『死に至る 病』) • ニーチェ(実存主義:「神は死んだ」) • ショーペンハウアー(『意志と表象とし ての世界』、『読書について』) ヘーゲル

24.

19世紀のヨーロッパ文化:社会科学・自然科学 • 社会科学 1. マルクス(マルクス経済学) 2. ランケ(史料批判に基づく近代歴史 学) • 自然科学・工学 • ファラデー(電磁気学) • キュリー夫人(ラジウムの発見) • ダーウィン(進化論) • ノーベル(ダイナマイトの発明など) ダーウィン

25.

本日の内容 • 世界史:ウィーン体制のヨーロッパ • 世界史:19世紀のヨーロッパ文化 • 美術史:ロマン主義・写実主義 25

26.

ロマン主義・写実主義:CONTENTS ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 概略 ロマン主義絵画Ⅰ:災厄・戦争 ロマン主義絵画Ⅱ:新たな風景画 ロマン主義絵画Ⅲ:幻視・宗教・過去 コラム:日本のロマン主義について レアリスム絵画

27.

ロマン主義:概略 • 美の基準はギリシア・ローマ美術の みであるとする新古典主義に対抗す るように台頭したのがロマン主義で あった。 • 個々人の感情・個性・自由を尊重し、 感受性や主観に重きを置いたことが 最大の特徴である。 • そのため特定の様式に固定されるも のではなく、主題も様々であった。 しかし、ナショナリズムの高まりか ら、美術様式は各国の歴史と風土に 根ざしたものとなっていく。 ジェリコー《メデューズ号の筏》

28.

ロマン主義絵画Ⅰ:災厄、戦争 • フランス革命以降ヨーロッパ社会を 覆った戦争や内乱は極限状態にある 人間の姿を浮き彫りにし、その群像 劇はロマン主義に多くの実りをもた らした。 • 「災厄・戦争」というジャーナリズ ム的な主題を描いた主な画家として ジェリコー、ドラクロワ、ゴヤが挙 げられる。 ジェリコー 《戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官》

29.

テオドール・ジェリコー • フランスの画家であるジェリコーは ロマン主義の先駆的存在であり、 1816年に起きたメデューズ号の難破 事件を題材にした大作を描き上げて 論議を呼んだ。 • この他にも彼は現実社会の描写に深 い関心を示し、非古典主義的なテー マを開拓した。 • 代表作は『メデューズ号の筏』であ る。 ジェリコー《メデューズ号の筏》

30.

ウジェーヌ・ドラクロワ(1) • ジェリコーが新時代の美意識のマニ フェストだとすれば、ドラクロワは その完成者であった。 • 彼は当初ダンテ『神曲』など、文学 作品の絵画化を得意にしていたもの の、ギリシア独立戦争(1821~32) を契機として時事的問題に取り組む ようになった。 • 代表作は『キオス島の虐殺』『民衆 を導く自由の女神』である。 ドラクロワ《キオス島の虐殺》

31.

ウジェーヌ・ドラクロワ(2) ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

32.

フランシスコ・デ・ゴヤ • スペインのゴヤはもともと宮廷画家 で華麗な色彩を得意としたが、大病 を患い聴力を失ってから人間のグロ テスクな一面を描くことが多くなっ た。 • 彼の代表作である『マドリード、 1808年5月3日』はフランス軍による スペイン市民の虐殺を描いたもの。 • 他に『我が子を食らうサトゥルヌ ス』『マハ』も有名である。 ゴヤ《マドリード、1808年5月3日》

33.

ロマン主義絵画Ⅱ:新たな風景画 • 19世紀は風景画の世紀ともいわれる が、他国に先駆けて産業革命が興っ たイギリスでは都市化の反動から自 然愛好の高まりも早く、多くの風景 画が描かれた。 • 政治思想家バークは、無限かつ圧倒 的な規模で人に畏怖の感情を惹起さ せるものを「崇高」と表現し「美」 の対極に位置づけた。しかし、風景 画家は「崇高」の神性や超越性に美 を見出し、壮大な自然を描いた。 ターナー《ミノタウルス号の難破》

34.

J・M・ウィリアム・ターナー(1) • ロマン主義の風景画家として真っ先 に名前が挙がるのはターナーとコン スタブルの二名であるが、バルビゾ ン派の功績も無視できない。 • ターナーは大気と水、光が織りなす 自然現象を自在に表現する描写力と、 そこから引き出される主題の多様さ によって名声を築いた。 • 代表作は『雨、蒸気、速度』、『解 体されるために最後の停泊地に曳か れてゆく戦艦テメレール号』などで ある。 ターナー《解体されるために最後の停泊 地に曳かれてゆく戦艦テメレール号》

35.

J・M・ウィリアム・ターナー(2) ターナー《雨、蒸気、速度》

36.

ジョン・コンスタブル(1) • ターナーと並び称されるコンスタブ ルは19世紀イギリスを代表する風景 画家である。 • 彼はターナーとは対照的に、身近な 自然を写実的に描いた。写生に基づ く制作態度と明るい色彩による彼の 作品は後の絵画史を先取りするもの であった。 • 代表作は『乾草の車』で、これは 「もっとも偉大で人気のあるイギリ ス絵画」とも称される。 Stephencdickson - 投稿者自身による著 作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/ind ex.php?curid=35447762による ダニエル・ガードナー 《ジョン・コンスタブル》

37.

ジョン・コンスタブル(2) コンスタブル《乾草の車》

38.

バルビゾン派(1) • 人間のドラマが主要な関心であった フランスでは自然主義的な風景画の 発達は他国に後れを取っていたが、 1820年の半ば頃に発生したバルビゾ ン派が風景画や農民画を描いた。 • バルビゾン派の主な画家はコロー、 ミレー、ルソーなどであり、コロー とルソーは風景画、ミレーは農民画 によって知られている。 ルソー《フォンテーヌブローの森の小屋》

39.

バルビゾン派(2) コロー《モルトフォンテーヌの思い出》

40.

ロマン主義絵画Ⅲ:幻視、宗教、過去 • ハインリヒ・フュースリーは想像力 を羽ばたかせ、文学に取材して『夢 魔』などの空想上の存在を描いた。 • また、ロマン主義の時代は啓蒙主義 期から軽視され続けてきた宗教性の 復活も特徴的であり、ウィリアム・ ブレイクなどがキリスト教神秘主義 に基づく独自の創造神話を描いた。 • さらに、科学革命の物質主義の反動 として中世復興が一部で起きた。 (ゴシック・リバイバルやナザレ 派) フュースリー《夢魔》

41.

コラム:日本のロマン主義(1) • 日清戦争(1894年)前後、西洋の影 響を受けて日本でもロマン主義が盛 んになった。 • 文学では島崎藤村や北村透谷、樋口 一葉などが有名だが、絵画では藤島 武二や青木繫が知られる。 • アーティゾン美術館に彼らの作品が 多く収蔵されているので、関東住み の方は一度訪れてみてはと思います。 大学生まで無料です! 藤島武二《黒扇》 (アーティゾン美術館蔵)

42.

コラム:日本のロマン主義(2) 青木繫《海の幸》 (アーティゾン美術館蔵)

43.

レアリスム絵画 • フランスの七月王政は復古政治を終 わらせたものの、これはブルジョワ 資本家による寡頭独占政治であり、 貧困にあえぐ民衆は二月革命を引き 起こし共和政を成立させた。 • この状況下において画家は貧困を主 題とし、(歴史画とは対照的な) 「平凡な人々の平凡な行為」に美を 見出そうとした。代表的な画家は クールベとミレーである。 クールベ《罠にかかった狐》 (国立西洋美術館蔵)

44.

ギュスターヴ・クールベ(1) • クールベは第二次共和制が敷かれて から最初のサロンで村民の葬儀を壮 大に描いた『オルナンの埋葬』を提 出して物議をかもした。 • また1855年の万博の際に私費で(世 界初の!)個展を開き、万博に落選 した作品(『画家のアトリエ』、 『オルナンの埋葬』)を展示し戦闘 的に写実主義を世に問うた。 クールベ《絶望(自画像)》

45.

ギュスターヴ・クールベ(2) ギュスターヴ・クールベ - 投稿者自身による著作物 撮影日: 2005年12月15日, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1694257による クールベ《オルナンの埋葬》

46.

ジャン=フランソワ・ミレー(1) • 前述したバルビゾン派のミレーは 『種まく人』で頭角を現し、農村の 生活をモチーフとする抒情的な作品 世界を作り出した。 • しかし、農民を威厳ある姿で書くこ とは当時の社会主義者や共和主義者 を勢いづかせるものであったため異 論があった。 • 他の代表作は『落穂拾い』『晩鐘』 である。 ミレー《種まく人》

47.

ジャン=フランソワ・ミレー(2) ミレー《落穂拾い》

48.

ジャン=フランソワ・ミレー(3) ミレー《晩鐘》

49.

本日のまとめ • フランス革命とナポレオン戦争の反 動として復古的なウィーン体制が成 立した。また、その反動として七月 革命が起こり、さらにフランスでは 二月革命が起き共和制が成立した。 • 新古典主義の反動として、個人の感 情や想像力に重きを置くロマン主義 が興った。また、貧富の差への不満 から現実世界に美を見出そうとする 写実主義(レアリスム)が興った。 ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

50.

次回の内容 • 次回からは印象主義、象徴主義、ポ スト印象主義について扱います。19 世紀の後半は帝国主義の時代であり ました。ここでは資本家と労働者と いう社会構造の上に比較的安定した 社会が成立しており、資本家階級を 中心に美術を含む文化芸術が展開さ れていきました。 • 関連ワード • モネ『散歩、日傘をさす女性』 • ロダン『地獄の門』 モネ《散歩、日傘をさす女性》