西洋美術史ゼミ第四回:エトルリア美術とローマ美術

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March 25, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。私は理系の学生なので厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けたつもりです。今回は古代ローマの美術について扱っています。以下のURLから発表時のスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe

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理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

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各ページのテキスト
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西洋美術史ゼミ 第4回 エルトリア美術とローマ美術 中世I(初期キリスト教美術) 発表者 あまずん

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発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。

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前回の内容 • クレタ美術とミュケナイ美術 ギリシア文明以前の美術について。 • ギリシア美術 幾何学様式からアルカイック美術やクラシック美術。 • ヘレニズム美術 美術の大衆化や古典主義復興。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC-ND のラ イセンスを許諾されています

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本日の内容 • エトルリア美術とローマ美術 • 初期キリスト教美術 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA-NC のライセンスを許諾さ れています 以上の事柄について、時代背景→美術の順番で説明を行います。 予定していたビザンティン美術と初期中世美術は次回に回します。 今回も歴史の部分が⾧めです。気楽に聞いてください。

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全体の概略 • 西洋における中世とは一般に、5世紀から15世紀、事件でいえ ば西ローマ帝国滅亡から東ローマ帝国滅亡までを指し、その後 のルネサンス以降が近世として扱われます。 • 今回の発表では、ヨーロッパにおける古代として最後に扱われ る都市国家ローマの誕生からその滅亡までを扱い、次回以降の 中世文化への橋渡しをしようと思います。

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本日の内容 • 当時の情勢について:古代ローマ • エトルリア美術とローマ美術 • 当時の情勢について:キリスト教の成立 • 初期キリスト美術

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当時の情勢について:エトルリア • 前八世紀にラテン人によって建てられたローマは、先住民のエ トルリア人の支配を受け、彼らを通してギリシア文化の影響を 受けていた。しかし、前6世紀末にエトルリア人の王を追放し、 ローマは共和制に移行した。 • 彼らは宿命論を信じるなど、宗教、来世観、社会制度はギリシ アとは大きく異なった。

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当時の情勢について:古代ローマ(1) • エトルリア人の追放後、BC509~287 までローマでは貴族共和制が行われ た。 • 貴族共和制では貴族が実権を握り、 貴族から選ばれた2名の執政官が行政 や軍事を担当した。また、貴族で構 成された元老院が政治の実権を握っ た。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BYND のライセンスを許諾されています

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当時の情勢について:古代ローマ(2) • 当時、中小農民を中心とする平民は、重装 歩兵として戦闘で貢献していたが参政権は なかった。 • そのため、貴族中心の政治に対して、平民 は身分闘争を行った。 • その結果、平民は貴族と同じ政治上の権利 を得て権力闘争は終わったが、以後も貴族 と平民上層部が新貴族を形成し政治を動か した。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA-NC のライセンスを許諾 されています

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当時の情勢について:古代ローマ(3) • ローマは周辺都市の征服を進め、 BC272にイタリア半島を統一した。 征服した都市の扱いに差をつける 分割統治を行った。 • 半島を統一したローマは、カルタ ゴと地中海の覇権をめぐりポエニ 戦争を行った。そしてカルタゴを 滅ぼし、ローマは地中海西部の覇 権を握った。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許諾 されています

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当時の情勢について:古代ローマ(4) • ポエニ戦争後、⾧期の従軍などにより重装歩兵として活躍した 中小農民が没落し、彼らが無産市民となったためローマの軍事 力が低下した。 • この危機に対しグラックス兄弟が貴族の土地を貧民に分配しよ うとしたが、元老院の反対にあい失敗。 • 以後、有力な政治家は自分の保護下におく人々を配下として、 彼らを使って互いに暴力で争うようになり、ローマは「内乱の 一世紀」に突入した。

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当時の情勢について:古代ローマ(5) • 詳細は省くが、カエサルの養子オクタウィアヌスが地中海を平 定し、BC27に元老院から尊厳者(アウグストゥス)の称号を 与えられた。この地位は世襲されたので、帝政時代が始まった。 • オクタウィアヌスは元老院を尊重する元首制を行った(が、こ れは名目上のものであり実権は皇帝にあった)。 • アウグストゥス帝から約200年間(BC27~180)はローマ帝国の最 盛期だったが、財政の行き詰まりや経済の不振によって帝国は 動揺し、異民族の侵略などもあり、395年に帝国は東ローマ (ビザンツ)帝国と西ローマ帝国に分裂した。東ローマ帝国は ⾧く続いたが、西ローマ帝国は476年に滅んだ。

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本日の内容 • 当時の情勢について:古代ローマ • エトルリア美術とローマ美術 • 当時の情勢について:キリスト教の成立 • 初期キリスト美術

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エトルリア美術 • 先住民のエトルリア人は、ギリシア美 術の影響を受けながら、エルトリア固 有の美術を発展させた。 • ダイナミックで表現的であることが特 徴で、人体比率を無視し誇張された人 体像などが作られた。 • ウルカ(Vulca)が後世に名前の残る唯 一のエルトリア人美術家である。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセ ンスを許諾されています

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ローマ美術(1) • ローマ美術はエトルリアの支配後もなおその影響下にあった。 • しかしポエニ戦争の過程でギリシア美術が輸入され、ローマ人 はその蒐集に努めた。 • その結果、外来のギリシア美術とエルトリアからの伝統のロー マ固有の美術の二大潮流が形成された。

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ローマ美術(2) • 第二次ポエニ戦争以降(BC218~201)、「ギ リシア風に生きる」ことが社会の大勢となっ た。そうして貴族や富裕者はクラシック様式 やヘレニズム様式の彫刻や住宅を求めるよう になり、建築家や彫刻家はそれに応じた。 • 特に、そのような彫刻家や彫刻はネオ・アッ ティカ派(Neo-Attic)と呼ばれる。多民族国 家のローマにおいて、彼らの洗練された古典 主義美術は心地よく理解されやすいもので あった。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許 諾されています

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ローマ美術(3) • 第二次ポエニ戦争後、建築においては 徐々にローマ的なるものが培われて いった。 • 紀元前2世紀と1世紀前半はヘレニズム 文化が等質化した時代であったが、イ タリア半島もこの文化現象の中に組み 込まれており、ヘレニズム建築の経験 を土台にローマ固有の建築が生まれる。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC-ND のライセンスを許諾されています

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ローマ美術(4) • ローマ建築の特徴とは、厳格な左右対 称性、神殿の高い基壇、コリント式柱 頭の多用、内部空間の重視である。 • また、紀元前2世紀前半にはバシリカ (多目的公会堂)が、紀元前1世紀前 半には円形闘技場が新しい建築ジャン ルとして生まれた。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許諾されています

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ローマ美術(5) • バシリカところ この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA-NC のライセンスを許諾されています <バシリカ> この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許諾されています <円形闘技場(コロッセウム)>

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ローマ美術(6) • 建築装飾についても、ヘレニズム期に あった大理石の壁を、化粧漆喰を壁に貼 り付けることで模したポンペイ第一様式 から、建築モチーフを壁面いっぱいに描 いたポンペイ第二様式へと移行する。 • この様式では対象に陰影をつけることや 遠近法を用いて、だまし絵的に部屋を拡 張することを狙っていた。これは窓のな いローマの家の閉塞感を打ち破るもの だった。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセン スを許諾されています この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA-NC のライセンスを許諾されています

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ローマ美術(7) • 帝政期に入ると、皇帝の事蹟を誇示 するための「歴史浮彫」が盛んに作 られた。 • これはローマの記録主義に由来する ものであり、「トラヤヌスの記念 柱」や代表的作品である。 • また、同様の理由で「コンスタン ティヌスの凱旋門」などの凱旋門も 作られた。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA の ライセンスを許諾されています この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SANC のライセンスを許諾されています

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本日の内容 • 当時の情勢について:古代ローマ • エトルリア美術とローマ美術 • 当時の情勢について:キリスト教の成立 • 初期キリスト美術

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当時の情勢について:キリスト教の成立(1) • ローマ属州のパレスチナではユダヤ教が信仰されていたが、 BC4年ごろイエスがその律法主義を批判した。 • キリスト教は皇帝の権威を認めなかったため数多くの迫害をう け、多くの殉教者を出した。しかし貧民に教徒が増え続けたた め、コンスタンティヌス帝は帝国支配の安定化のために313年 のミラノ勅令でキリスト教を公認した。 • また、325年のニケーア公会議で三位一体説を主張するアタナ シウス派が正統となった。

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当時の情勢について:キリスト教の成立(2) • キリスト教の教会にはローマ=カトリッ ク教会(西方教会)と東方教会があった。 • ローマ帝国の分裂後、ローマ=カトリッ ク教会は後述するフランク王国と、東方 教会はビザンツ帝国(東ローマ帝国)と 結びついた。 • 教義などの理由で、両者の対立は次第に 深まっていった。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-ND のライセンス を許諾されています

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本日の内容 • 当時の情勢について:古代ローマ • エトルリア美術とローマ美術 • 当時の情勢について:キリスト教の成立 • 初期キリスト美術

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初期キリスト美術(1) • 一般に「初期キリスト美術」とは、キリ スト教の誕生から5世紀後半(西ローマ 滅亡、フランク王国建国あたり)にかけ て生み出された東西キリスト教美術を指 す。 • 二世紀のキリスト教美術において注目す べきはカタコンベの壁画や副葬品であり、 それらは葬礼美術と総称される。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC-ND のライセンスを許諾され ています

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初期キリスト美術(2) • カタコンベはキリスト教徒が死者を埋葬 するため地中に網の目のように掘り巡ら した地下墓所であり、2世紀末から4世 紀後半にかけ各地で作られた。 • キリスト教徒は死後の魂の救済を願い、 カタコンベの天井や壁の漆喰の上に絵を 描いたが、異教徒の目をごまかすために 同時代の異教美術から構図やモチーフを 借用している。 • 題材は信仰を間接的、暗示的に示すもの であった。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許 諾されています

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初期キリスト美術(3) • 石棺彫刻にも壁画と同じ題材が使わ れている。 • 死者の肖像を中心として棺の側面や 前面に浮彫を施す方法は、異教石棺 の伝統を汲むものであった。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA-NC のライセンスを許諾されています

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初期キリスト美術(4) • 4世紀以後の、コンスタンティヌス 帝がミラノ勅令を出し、キリスト教 が公認された後の時代を「「教会の 勝利」の時代」と呼ぶ。 • この時代には各地で大規模な教会堂 の建築が開始されたが、この建築は バシリカ式と集中式に分けることが できる。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC のライセンスを許諾されていま す

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初期キリスト教美術(5) • バシリカは帝政ローマの建築に おける、多目的公会堂であった。 • バシリカ式建築はこれから影響 を受けたもので、教会堂の建築 様式である。 • 主に一般信徒の礼拝用の大型教 会堂に使われた。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA-NC のライセンスを許諾されています

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初期キリスト教美術(6) • 一方、集中式はヘレニズムの墓廟建 築などの伝統を汲むもので、洗礼堂、 廟堂、殉職者記念堂など特殊な用途 を持つ小型の建築に使われた。 • その特徴は中心の周りに空間が対称 かつ均等に配置される建築であり、 正多角形やドームが採用された。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセン スを許諾されています

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初期キリスト教美術(7) • バシリカ式、集中式のいずれもレンガ で作られた外観は質素であったが、内 部は高価な大理石や色ガラス、金を贅 沢に使ったモザイクで豪華に飾り立て られた。 • この極端な対照には現実世界と神の霊 的な世界の対象を印象付けようとする 意図があったと考えられる。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY のライセンスを許諾されています

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初期キリスト教美術(8) • 五世紀に入ってからはさらに教会堂の造 営に弾みがついた。 • この時代は初期の象徴的・寓意的な表現 も残りつつ、空間に合わせて図像を体系 的に構築しようとするものだった(≒デ ザイン・構成的な試みが行われた)。 • この時代になり、キリスト教美術は古代 ローマの古典的な様式を離れ、東方的な 華麗な金地や多様な装飾モチーフを採用 した壮厳美術が生み出されるようになっ た。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-NC-ND のライセンスを許諾されて います

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次回の内容 • ローマ帝国の分裂後、中世のヨーロッパで は何が起こり、美術はどのような影響を受 けたのでしょうか。また、キリスト教はど のように発展していったのでしょうか。今 回に引き続き、次回は中世の美術について 考えていきます。 • 関連するワード: • ゲルマン人の大移動 • 聖像論争(イコノクラスム) この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY-SA のライセンスを許諾さ れています