西洋美術史ゼミ第十一回:バロック美術・ロココ美術

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May 04, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。今回はバロック美術・ロココ美術について扱っています。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けたつもりです。以下のURLからスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe

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理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

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各ページのテキスト
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西洋美術史ゼミ 第11回 バロック美術・ロココ美術 発表者 あまずん 1

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発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。 2

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ゼミについて • 週1回程度で美術出版社「増補新装 カラー版 西洋美術史」を一章ずつ 読み進め、内容をまとめ発表します。 • また、高校世界史に沿う形で当時の 出来事についても説明します。 • そのため、世界史と美術史を同時に 学ぶことができるため、歴史が好き な方も美術が好きな方も学びを深め ることができます。 3

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前回の内容 • 宗教的な普遍的権力が動揺し、経済 的・軍事的な重要性から主権国家が 形成され始めた。 • そのような状況下で新教と旧教の対 立による三十年戦争が始まり、次第 に大規模な戦争に発展していった。 • カラヴァッジョの登場により、劇的 で動的なバロック美術の扉が開いた。 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

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本日の内容 世界史について • 近世ヨーロッパ世界の展開(事前) • ヨーロッパ諸国の海外進出(事前) 美術について • バロック美術 • ロココ美術 5

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発表の前に • 今回は世界史と美術史で資料が分かれています!世界史につい ては軽くだけ扱うので、詳しく知りたい方はDiscordサーバー に置いた資料(ドクセルの方はサムネに「事前」と書いてある もの)を参照してください。

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全体の概略 • 三十年戦争が終わりヨーロッパの近代化が進む中、カトリック 改革を背景に美術はルネサンスの理想主義的なものから世俗的、 現実的なものへと変化していきました。 • 宮廷画家は依然存在しましたが、画風はカラヴァッジョの影響 を多分に受けたものへと変化していき、またオランダでは市民 の影響力も強まって風俗画をはじめとする世俗的な絵画が生み 出されました。そして、その流れを受けた18世紀フランスでは、 バロックとは対照的で華やかなロココ美術が誕生しました。 • 今回は詰め込み気味ですが、流れをなんとなく掴んでもらえれ ば大丈夫です。 7

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本日の内容 • 美術史:バロック美術(続) • 美術史:ロココ美術 8

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イタリアのバロック美術(再) • 前回は②まで扱った。今回は③から 始める。 ① カトリック改革(対抗宗教改革) ② カラヴァッジョ ③ カラッチとボローニャ派 ④ 盛期バロックと天井画 ⑤ ベルニーニとボロニーニ(建築)

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カラッチとボローニャ派(1) • 16世紀のイタリアにおいて、カラ ヴァッジョと双璧をなす画家として アンニバーレ・カラッチがいる。 • 彼は盛期ルネサンスの古典主義と写 実性を融合させた絵画を描き、その 折衷性から一般に受容されやすいも のであった。 カラッチ《自画像》

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カラッチとボローニャ派(2) • カラッチは特にパラッツォ・ファル ナーゼのガレリア天井画で有名であり、 その古典研究の成果から「ラファエロ の再来」とまで称えられた。 • また、彼は風俗画でも傑作を残してお り、『肉屋』や『豆を食べる男』など の作品がある。 カラッチ 『バッカスとアリアドネの勝利』 (ファルネーゼ宮殿天井画)

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カラッチとボローニャ派(4) カラッチ《豆を食べる男》

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カラッチとボローニャ派(3) • カラッチに学んだ画家たちはボロー ニャ派と呼ばれ、17世紀前半のロー マ画壇を席巻した。 • その中でもグイド・レーニとドメニ キーノが名高く、古典主義的な画風 を流行させアカデミズムの範となっ た。 ドメニキーノ《処女と一角獣》

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カラッチとボローニャ派(4) レーニ《アウロラ》

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カラッチとボローニャ派(4) • また、ドメニキーノのライバルで あったジョヴァンニ・ランフランコ は、盛期ルネサンスの画家コレッ ジョの錯視的な効果(イリュージョ ニズム)をローマに移植し、サンタ ンドレア・デラ・ヴァッレ聖堂の天 井画において、ドメニキーノの古典 主義と対照的なバロック的な画風を 展開した。 By Livioandronico2013 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40409917 ランフランコ 《サンタンドレア・デラ・ヴァッレ聖堂の天井画》

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盛期バロックと天井画 • ローマで始まったバロックは、サ ン・ピエトロ大聖堂や一族の宮殿を 華やかに装飾されたウルバヌス8世 (在位1623~44)の治世下で盛期バ ロックとして完成した。 • ランフランコによって導入されたイ リュージョニズムは広く流行し、コ ルトーナ『神の摂理とバルベリーニ 家の栄光』やバチッチア『イエスの 御名の勝利』などの傑作が生み出さ れた。 By Giovanni Battista Gaulli - Photo: LivioAndronico, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php ?curid=40604979 バチッチア《イエスの御名の勝利》

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ベルニーニとボロミーニ(1) • 盛期バロックの建築ではベルニーニ と、その弟子でありライバルでもあ るボロミーニが有名である。 • 彼らはどちらもこの時代を代表する 建築家ではあるが、その個性は対照 的なもので、ベルニーニは絵画、彫 刻、建築が連動する豪華な空間を作 り、ボロミーニは無彩色で幾何学的 な装飾のみを用いて空間を聖化した。 By Architas - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70004401 サン・カルロ・アレ・クワトロ・フォンターネ聖堂内部

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ベルニーニとボロミーニ(2) • ベルニーニは盛期バロックをもっと も顕著に体現した巨匠である。 • 彼ははじめ父を継ぎ彫刻を手掛けて いたが、ウルバヌス8世に重用されて その活動を建築に広げることとなっ た。 • 彼の手掛けたコルナロ礼拝堂は、建 築・彫刻・絵画を統合した総合芸術 (ベル・コンポスト)の典型である。 aischylos - https://www.flickr.com/photos/aischylos/235801406/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1144216によ る ベルニーニ《聖テレジアの法悦》 (コルナロ礼拝堂に設置) )

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ベルニーニとボロミーニ(3) • いっぽう、ボロミーニの建築は独創 性に秀でていた。 • サン・カルロ・アレ・クワトロ・ フォンターネ聖堂が彼のライフワー クであるが、外壁のファザードは有 機的に激しく波打っているのに対し、 内部は楕円形を組み合わせたプラン によって幾何学的な秩序と静謐さに 支配されていた。 By Erin Silversmith - Own work, GFDL, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=200585 サン・カルロ・アレ・クワトロ・フォンターネ聖堂

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様々な地域のバロック • ここからイタリア以外の地域におけ るバロックについて見ていく。構成 は次の通り。 ① スペインのバロック ② フランドルのバロック ③ オランダのバロック ④ フランスの古典主義とバロック ⑤ 北イタリアのバロック ⑥ ドイツのバロック

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スペインのバロック(1) • スペインは早くから絶対王政を確立し、 植民地から流入する潤沢な富を背景に してカトリック改革運動を推進した。 このため、宮廷と教会の双方が積極的 に美術を保護し、絵画の黄金時代を招 くことになった。 • 16世紀末では厳しい宗教性と現実性を 特徴とするエル・グレコなどの画家が 活躍したが、やはりバロックを代表す るのは17世紀のベラスケスである。 ベラスケス《教皇インノケンティウス10世》

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スペインのバロック(2) • ベラスケスはマドリードの宮廷に仕え た画家である。カラヴァッジョやルー ベンスの影響を受けて様式と技法を洗 練し、大まかな筆触により視覚的印象 をとらえるという革新的技法で宮廷の 人々の肖像画や現実装いの神話画を描 いた。 • 彼の代表作は『ラス・メニーナス(侍 女たち)』で、モデルの人間性を見事 に捉えたこの絵は西洋絵画の頂点を示 している。 ベラスケス《ラス・、メニーナス》

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スペインのバロック(3) • セビーリャ(西スペイン)で活動し たスルバランもカラバッジョの画風 に強い影響を受け、独特の素朴で神 秘主義的な様式を確立し、宗教画と 静物画を描いた。 • 一方、同じセビーリャの画家ムリー リョは、同時代のフランドル絵画と 16世紀のヴェネツィア派の影響を受 け、やわらかい筆触と華麗な色彩を 特徴とする甘美な宗教画を制作した。 ムリーリョ《無原罪の御宿り》

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スペインのバロック(4) スルバラン《壺のある静物》

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フランドルのバロック(1) • 16世紀後半のフランドル(南ネーデ ルラント)は、ハプスブルク家の支 配下でカトリック改革を推進し、国 際港湾都市アントワープが美術の中 心地となった。 • オランダが独立した17世紀以降、そ の美術活動のほとんどはルーベンス とその一派によって代表される。 ルーベンス《キリスト昇架》

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フランドルのバロック(2) • ルーベンスはイタリアに渡りルネサ ンスやバロック画家の影響を受けた あと、最終的にネーデルラントの宮 廷画家となった。そして、各国の王 侯からの注文をこなす大工房を組織 し、旺盛に制作活動を展開した。 • 彼は自由奔放な構成力を持ってダイ ナミックな構図を作り上げた。代表 作は『十字架降下』である。 ルーベンス《十字架降下》

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フランドルのバロック(3) • ルーベンスのほか、フランドルで活 躍した画家にはヴァン・ダイクやヨ ルダーンスがいる。 • 彼らはどちらもルーベンスの弟子で ある。ヴァン・ダイクはイタリアに 渡って宮廷画家となり、貴族的で華 麗な肖像画を描いたのに対し、ヨル ダーンスは農民が登場する風俗画を 得意とした。 ヴァン・ダイク《狩猟のチャールズ1世》

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フランドルのバロック(4) ヨルダーンス《サテュロスと農夫》

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オランダのバロック(1) • 1581年に独立を宣言したオランダは、 宗教美術を偶像崇拝の対象として否 定したカルヴァン派プロテスタント が主流を占めた。(c.f.ビルダーシュ トゥルム) • そのため、教会と宮廷という大パト ロンこそ失ったものの、海上貿易で 財を成した新興市民階級が収集する ことで、膨大な作品が市場に向けて 生み出された。 フェルメール《真珠の耳飾りの少女》

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オランダのバロック(2) • このため、彼ら市民の思考に応じた 肖像画・風俗画・風景画・静物画と いった現実的で平易な世俗的ジャン ルが流行した。これによりオランダ は絵画の黄金時代を迎え、また科学 や哲学も発展したため17世紀を「オ ランダの世紀」と呼ぶことさえある。 • この時代の著名な画家は多いが、特 にレンブラントとフェルメールを取 り上げる。 ヤーコプ・ファン・ロイスダール《風車》

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オランダのバロック(3) • アムステルダムの画家レンブラント は、『夜警』のような大胆な集団肖 像画を描いた。 • また、彼は個人注文者や自分自身の ために宗教画も多く描き、当初はカ ラヴァッジョ風の劇的で激しい構成 であった、次第に画面内からにじみ 出るような光によって人間心理を照 射するような滋味あふれるようなも のとなった。 レンブラント《夜警》

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オランダのバロック(4) • オランダでは、レンブラントのよう に広範なジャンルをこなす画家より も、専門に特化した画家の方が一般 的であった。 • その典型がフェルメールである。彼 の風俗画には上品な家庭の静かな室 内に一人または少数の人物が表され ており、あたかも静物のように静謐 な画面を構成している。 フェルメール《窓辺で手紙を読む女》

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フランスの古典主義とバロック(1) • フランスは17世紀初頭は宗教的・政 治的混乱(ユグノー戦争)のために 才能のある画家はみなイタリアに旅 立ち、カラヴァッジョの様式を学ん だ。 • パリでいずれこの様式は衰微してい くことになるが、ジョルジュ・ド・ ラ・トゥールは極めて質の高いカラ ヴァッジェスキの画面を制作した。 ラ・トゥール《大工の聖ヨセフ》

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フランスの古典主義とバロック(2) • 「フランス絵画の父」といわれるニ コラ・プッサンはローマでほとんど の生涯を送り、秩序と静穏さに満ち た古典主義を大成した。彼は教養に 富み、ローマやフランスの知的エ リートのために制作した。 • また、古典的風景画を大成したのは クロード・ロランであった。彼は郊 外で盛んに自然を写生し、自然の光 と空気を画面に導入した。 プッサン《パルナッソス》

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フランスの古典主義とバロック(3) ロラン《海港(メディチ邸)》

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北イタリアのバロック(1) • 北イタリアでは、ローマがバロック の絶頂を迎えた後、各地でバロック 様式が浸透していった。 • 海洋国家ジェノヴァには東西南北の 文化が流入し、ルーベンスやヴァ ン・ダイクがやってきて活躍したが、 ジェノヴァのライバルであるヴェネ ツィアは次第に没落していった。し かし18世紀には新興貴族の影響によ り第二次ヴェネツィア派が興った。 ティエポロ《受胎告知》

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北イタリアのバロック(2) • このような傾向を継承したのはティ エポロであり、彼はバロック的な躍 動感とロココ的な優美な装飾性を兼 ね備えた絵画を描いた。 • また、トリノにおいてもバロックは 普及し、グアリーノ・グアリーニや それを継承したフィリッポ・ユ ヴァーラ、両者を統合したベルナル ド・ヴィットーネによってローマに 替わるバロック建築の最先端の都市 となった。 ティエポロ 《カルロス3世治下のスペイン王政の富と利益》

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北イタリアのバロック(3) グアリーニ《サン・ロレンツォ教会(内部)》 By Livioandronico2013 at English Wikipedia, CC BYSA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid =54032025

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ドイツのバロック(1) • 17世紀のドイツは、宗教改革後の混 乱と三十年戦争のために目立った芸 術はなかったが、カトリックにとど まった南ドイツやオーストリアでは 18世紀になって戦後の復興を謳うよ うにバロック様式が広まった。 Par Piflaser, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4791441 アザム兄弟《聖母被昇天》

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ドイツのバロック(2) • アザム兄弟がドイツ・バロック最大 の巨匠である。建築家で画家の兄と、 建築家で彫刻家の弟は、南ドイツを 中心として共同し多くの教会の建築 と装飾を手掛けた。 • その代表はアザム教会であり、これ は彼らが私有する教会であった。 By Photo: Andreas Praefcke - Own work own photograph, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=119021 アザム教会の内装

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本日の内容 • 美術史:バロック美術 • 美術史:ロココ美術 41

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ロココの美術工芸(1) • 太陽王ルイ14世が没すると、政治の 舞台はヴェルサイユからパリにうつ り、貴族や裕福な市民たちはパリに 住まいを移した。 • そこでは、前時代の壮大で儀式的な 芸術よりも、軽妙洒脱で自由奔放な 美意識が発達した。 • このルイ15世の時代のフランス美術 の様式をロココと呼ぶ。 ワトー《シテール島への巡礼》

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ロココの美術工芸(2) • ロココでは絵画や建築よりも、タペ ストリー、工芸品、家具、服飾と いった装飾芸術に顕著である。 • その代表はジェルマン・ボフランに よるオテル・ド・スービーズの『サ ロン・オヴァル』である。 この写真 の作成者 不明な作成者 は CC BY のライセンスを許諾されて います ボフラン《サロン・オヴァル》

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ロココの美術工芸(3) • 絵画においてはワトーが雅宴画を創 始した。それはイタリア的な理想主 義でもなく、オランダ的な現実主義 でもない演劇的で夢想的なジャンル であった。 • ブーシェがこの様式を継承し、より 華やかで官能的なものとなった。彼 の代表作は『水浴のディアナ』であ る。 ブーシェ《水浴のディアナ》

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本日のまとめ • バロック美術がイタリアから始まり、 ヨーロッパ諸国に広がりました。カ トリック改革を背景に美術が発展し ていきましたが、オランダでは市民 の影響力が強まり世俗的な絵画が多 く描かれました。 • 18世紀フランスでは、バロックとは 対照的な軽妙洒脱な様式であるロコ コ美術が生み出され、華やかな文化 が営まれました。 ベラスケス《教皇インノケンティウス10世》

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次回の内容 • 次回からは新古典主義・ロマン主義・ レアリスム(写実主義)について扱い ます。フランス革命によってカトリッ ク教会が否定され、市民社会が形成さ れる中、この価値観に基づいた世俗的 な近代芸術がこの時代に成立すること になりました。 関連ワード 1. アングル『グランド・オダリスク』 2. ゴヤ『マドリード、1808年5月3日』 ゴヤ《マドリード、1808年5月3日》 46