西洋美術史ゼミ第14回:印象派

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June 25, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。今回は印象派について扱っています。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。以下のURLからスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe
追記:2022年6月26日改定。「その他の印象派画家について」を追記しました。

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理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

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各ページのテキスト
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西洋美術史ゼミ 第14回 印象派 発表者 あまずん 1

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発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。 2

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ゼミについて • 週1回程度で美術出版社「増補新装 カラー版 西洋美術史」を一章ずつ 読み進め、内容をまとめ発表します。 • また、高校世界史に沿う形で当時の 出来事についても説明します。 • そのため、世界史と美術史を同時に 学ぶことができるため、歴史が好き な方も美術が好きな方も学びを深め ることができます。 3

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前回の内容 • フランス革命とナポレオン戦争の反 動として復古的なウィーン体制が成 立した。また、その反動として七月 革命が起こり、さらにフランスでは 二月革命が起き共和制が成立した。 • 新古典主義の反動として、個人の感 情や想像力に重きを置くロマン主義 が興った。また、貧富の差への不満 から現実世界に美を見出そうとする 写実主義(レアリスム)が興った。 ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

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本日の内容 世界史について • 産業革命(事前) • アメリカ独立戦争(事前) • ウィーン体制の成立 • 19世紀のヨーロッパ文化 美術について • ロマン主義・写実主義 5

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全体の概略 • 19世紀のヨーロッパでは、国家主義の高まりから各国が国家統 一を目指し始めた。また、第二次産業革命が起こったことや、 植民地が再評価されたために帝国主義が席巻した。これによっ て諸国の関心がアジアやアフリカに向き、ヨーロッパでは戦争 が起こらず大衆文化が成熟した。 • 資本家の台頭からサロンでは歴史画が衰退し、世俗的な絵画が 主流となった。これに対し、1860年代から新しい歴史画が生ま れた。 • アカデミズムに対する前衛である印象派が生まれ、光の動きや 変化の質感を表現する絵画を描いた。 6

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本日の内容 • 世界史:ヨーロッパの再編成 • 世界史:帝国主義 • 美術史:アカデミズムとサロン • 美術史:リアリズムの諸相 • 美術史:印象派 • 美術史:ポスト印象主義 7

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ヨーロッパの再編成:CONTENTS ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 概略 フランス第二帝政と第三共和政 ヴィクトリア期のイギリス イタリアの統一 ドイツの統一 ロシアの改革 国際的諸運動の進展

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ヨーロッパの再編成 • 1853年にロシアとオスマン帝国の間 で起こったクリミア戦争は、イギリ スやフランスも参戦しヨーロッパ列 強同士の戦いとなった。 • この戦争の後、各国はそれぞれの国 内問題の解決に集中するようになり、 列強間での協議による利害調整が少 なくなった。 • その結果、各国は比較的自由に行動 できるようになり、国家統一をめざ す戦争や紛争が多発した。 セヴァストーポリ包囲戦

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フランス第二帝政と第三共和政(1):復習 • 前回の内容をざっと復習する。 • フランス革命後に復古的なウィーン 体制が成立したが、七月革命によっ て倒された。 • ウィーン体制が崩壊した後は自由主 義者の王が統治したが、産業革命に よる社会変動などを理由として二月 革命が起こり、第二次共和制が成立 した。 • その後、大統領選で当選したルイ= ナポレオン(のちのナポレオン3 世)が独裁権を握り、皇帝に就任し て第二帝政が始まった。 ナポレオン三世

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フランス第二帝政と第三共和政(2) • 第二帝政は農民、資本家、労働者な どそれぞれ利害を異にする勢力に支 えられた。 • 大規模な公共事業を行い国内産業を 育成するほか、クリミア戦争をはじ めとする対外侵略政策を行い国民の 人気を維持した。 • クリミア戦争 エルサレムの聖地管理 権をロシアが要求し、 オスマン帝国と開戦し た戦争。ロシアの南下 を阻止するため英仏が オスマン帝国側につき、 ロシアは敗北した。

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フランス第二帝政とその崩壊(3) • しかし、プロイセン=フランス(普 仏)戦争(1870)に敗れ、皇帝が捕 虜となり第二帝政が崩壊した。 • その後国内では将来の政体をめぐっ て王党派と共和派とが対立し、政情 は不安定だった。しかし、辛うじて 共和制が優勢を保ち、1875年に第三 共和政憲法が制定されることとなる。 ジャンニオ《火線》

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ヴィクトリア期のイギリス(1) • 産業革命を経た19世紀のイギリスは 「世界の工場」として繫栄の絶頂を 迎えた。 • ヴィクトリア女王治世下、1851年に 世界初の万博博覧会であるロンドン 万博博覧会が開かれ、その近代工業 の成果を誇示した。 1851年のロンドン万国博覧会

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ヴィクトリア期のイギリス(2) • 内政では、保守党と自由党の2政党 が交代して政権を担当する議会政党 政治が成立したほか、都市労働者や 農業・鉱山労働者の参政権の実現、 初等教育の整備などが行われた。 • また、外交ではインド帝国(イギリ スのインド直接支配)の設立や、ベ ルリン会議でのロシア南下の阻止な どが起こった。 ヴィクトリア女王

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イタリアの統一 • イタリアでは小国に分裂している状 態が続いていたが、この時代に統一 運動が起こり、イタリア王国が成立 した。 • しかし、大部分は統一・併合したも のの、イタリア居住区でありながら 併合できない「未回収のイタリア」 の問題が残った。この問題は1975年 まで続くこととなってしまう。 Katepanomegas, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1492474 9による イタリア王国の国章

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ドイツの統一(1) • ウィーン会議でドイツ連邦が結成さ れたが、統一国家には程遠かった。 • 1834年にプロイセンを中心に大多数 のドイツ諸邦からなるドイツ関税同 盟が発足し、経済的な統一はほぼ果 たされた。 • 1861年にヴィルヘルム1世が即位し、 ビスマルクを宰相に登用した。ビス マルクは議会の反対を押し切り軍備 を拡張した。これを鉄血政策という。 1890年のビスマルク

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ドイツの統一(2) • その後プロイセンはデンマークや オーストリアと開戦し勝利。これに よりドイツ連邦は解体され、プロイ センがドイツ統一の主導権を握った。 • その後、プロイセンはフランスとプ ロイセン=フランス(普仏)戦争を 起こした。結果はプロイセンの圧勝 で、ナポレオン三世を捕虜にしてフ ランス第二帝政を崩壊させ、またフ ランスの弱体化を図り厳しい条件を 含む講和を結んだ。 普仏戦争のフランス兵

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ドイツの統一(3) • 1871年にヴィルヘルム1世がドイツ 皇帝の位につき、ドイツ帝国が成立 した。 • ドイツ帝国でビスマルクは約20年間、 なかば独裁的な権力をふるい、有力 なカトリック教徒を抑圧したり(文 化闘争)、社会主義者を弾圧するな どした。 ヴィルヘルム1世

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ドイツの統一(4) • 外交においてはフランスの孤立化を 方針とし、国力充実のため平和協調 外交と同盟政策を推し進めた。 • 1878年にロシアの南下を阻止したベ ルリン会議や、1882年にドイツ・ オーストリア・イタリアで結んだ三 国同盟が重要である。 • プロイセンが他国と結んだ複雑な同 盟網はビスマルク体制と呼ばれる。 ヴェルナー《ベルリン会議》

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ロシアの改革(1) • 19世紀前半のロシアはヨーロッパ最 大の後進国で、いまだ農奴制が強固 であった。皇帝は貴族と結びつき、 皇帝専制政治(ツァーリズム)を維 持していた。 • しかし、七月革命の影響で起こった 反乱を鎮圧するなどして、反革命の 擁護者として国際的な地位を得たロ シアは、南下政策の一環としてオス マン帝国と開戦した(クリミア戦 争)が敗北。ロシアは近代化を迫ら れることとなった。 • オスマン帝国 13世紀末から20世紀ま で続き、最盛期には東 ヨーロッパ、西アジア、 北アフリカにまでまた がる領域を支配したイ スラームの大帝国。15 世紀にビザンツ帝国を 滅ぼした。

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ロシアの改革(2) • クリミア戦争の敗北を受け、アレク サンドル2世は近代化の必要性を痛感 した。そして、彼は1861年に農奴解 放令を出し、農奴に人格的自由を認 めた。 • しかし、産業発展が十分でなかった ロシアでは、急進的な革命の担い手 は都市の知識人であった。彼らの一 部であるナロードニキ(人民主義 者)は農村に社会主義思想を持ち込 んだ。 クストーディエフ《農民の解放》

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国際的諸運動の進展 • 19世紀には、国際的な連帯を求めた り、国境を越えて協力し合う運動も 盛んになった。 • 特筆すべき事例として、1864年にマ ルクスが指導者となり第一インター ナショナル(国際労働者協会)が結 成されたことと、1863年に国際赤十 字社が設立されたこと、1896年に国 際オリンピック大会(いわゆる近代 オリンピック)が開催されたことが ある。 第一回オリンピック

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本日の内容 • 世界史:ヨーロッパの再編成 • 世界史:帝国主義 • 美術史:アカデミズムとサロン • 美術史:リアリズムの諸相 • 美術史:印象派 • 美術史:ポスト印象主義 23

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帝国主義(1) • 1880年代になると資本主義が発展し、 帝国主義時代が始まった。 • 石油と電力を動力源とし、重化学工 業が発展した第二次産業革命を中心 として、農村からの移民の増加や、 植民地の再評価などが起こった。 • その結果、工業力や資本力を背景と してイギリス・フランス・ドイツが 上位に位置づけられ、ロシア・オー ストリア・イタリアは下位となった。 ドイツの化学工場

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帝国主義(2) • 上位国のなかでもドイツは植民地獲 得に出遅れた。これを理由にしてド イツが植民地の再分配を主張し、英 仏との対立を深めた。この出来事の 後、これらの国家間で排他的な国家 主義と軍備拡大競争が起こり、第一 次世界大戦の大きな要因となった。 • しかし、この紛争はアジア・アフリ カやバルカン半島を中心としており、 ヨーロッパ中心部では戦争は起こら なかった。そのため成熟した市民文 化が定着し、現代型の大都市大衆文 化が生まれた。 1895年のフランスの マダガスカル侵攻を喧伝するポスター

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帝国主義下のイギリス • 19世紀半ばイギリスは、圧倒的な経 済力・海軍力を背景に自由貿易を推 し進めた。 • 帝国主義政策として、スエズ運河の 経営権を握るほか、エジプトやオー ストラリア、ニュージーランド、南 アフリカを支配した。 • また、労働組合活動が盛んになり、 労働党が結成された。この政党は革 命ではなく、議会活動による社会主 義建設を目指した。 1860年のスエズ運河

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帝国主義下のフランス • 第三共和政下のフランスでは、豊か な中産階級に支えられた銀行の資本 力を武器に帝国主義政策を追求した。 • フランスは植民地拡大政策を実行し、 インドシナ・アフリカに大植民地を 作り上げた。また、ブーランジェ事 件(クーデター未遂)などの共和制 攻撃を乗り切り、共和国は安定した。 ブーランジェ運動の高揚を描いた風刺画

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帝国主義下のドイツ • 1888年に即位したヴィルヘルム2世 はビスマルクと対立し、90年にビス マルクは辞職した。そして、ヴィル ヘルム2世は「世界政策」の名のもと に海軍力の強化を図り、強引な帝国 主義政策を追求した。 • 国内では社会主義運動が盛んになり、 ドイツ社会民主党が帝国議会第一党 となった。彼らはマルクス主義に基 づき社会主義を実現すると主張した が、やがて党内に修正主義が現れた。 ヴィルヘルム2世

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帝国主義下のロシア(1) • 農奴解放令により生み出された労働 力と、フランスからの資本導入によ りロシアにおいても資本主義が発展 した。 • また、1898年にマルクス主義政党と してドイツ社会民主党が成立したが、 その直後にレーニン率いる急進的な ボリシェヴィキと穏健なメンシェ ヴィキに分裂した。 レーニン

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帝国主義下のロシア(2) • そして、日露戦争の戦況が不利にな るなかで起こった平和請願のデモに 対して軍隊が発砲した血の日曜日事 件が起こった。 • この事件は多数の死者を出し、民衆 は皇帝への信頼を失った。これを発 端として第一次ロシア革命が起こり、 立憲政体を樹立した(がまもなく専 制政治に戻った)。 第一次ロシア革命

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本日の内容 • 世界史:ヨーロッパの再編成 • 世界史:帝国主義 • 美術史:アカデミズムとサロン • 美術史:リアリズムの諸相 • 美術史:印象派 • 美術史:ポスト印象主義 31

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アカデミズムとサロン(1) • フランス革命後からサロン(サロ ン・ド・パリ)は会員制から公募制 となり、右派や左派、様々な階級を 対象とする多くの新聞や雑誌が刊行 されるなど、この時代の美術の中心 となっていた。 • サロンの審査基準が美術家にとって ある種の制限となったことは明らか だが、しかしこの基準や審査制度は しばしば変えられ、芸術家にとって の自己主張の場ともなりえた。 ジュローム 《ピュグマリオンとガラテア》

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アカデミズムとサロン(2) • フランス革命後にもパトロンは建築 装飾として歴史画や宗教画を注文し た。 • しかし、伝統的な家系や古典的教養 を持たないブルジョワジーが台頭す ることにより、知識的背景の不要な 風景画や風俗画が画壇の主流となっ ていく。 • 例えばジャン=レオン・ジュローム はイスラーム世界の風俗を緻密に描 くオリエンタリズム絵画で人気を博 した。 ジュローム《蛇使い》

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アカデミズムとサロン(3) • 次第に歴史画は形式的なものとなり、 華やかな衣装や建築、裸婦などを描 くための設定にすぎなくなっていっ た。 • しかし、1860年ごろから絵画の精神 性を重んじる新しい歴史画のあり方 を模索する動きも出てきた。 • ギュスターヴ・モローやアルノル ト・ベックリーンは思弁的な絵画を 描き、歴史画の再生として評価され た。 モロー 《オイディプスとスフィンクス》

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リアリズムの諸相(1) • クールベ(前回参照)はリアリズム をアカデミズムへの批判として用い た。しかし19世紀の後半になると、 アカデミックな訓練を受けた画家の 中から理想化を排除して写実性にこ だわる画家が出てきた。 • 1860年代に登場したエドゥアール・ マネはこのような画家の一人である。 マネ《草上の昼食》

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リアリズムの諸相(2) • 1870年代の第三共和政期にも農民や 労働者が多く描かれた。 • この時期にこうした絵画が好まれた のには理由があった。それは国民国 家の成立に伴い、下層階級へのまな ざしが、国の担い手としてのものへ と変化したからである。 • ミレー(前回参照)の絵画にみられ るような伝統的で素朴な生活者は、 ノスタルジーの象徴として、そして 国家を支える農産物の生産者として 国力の象徴となった。 メンツェル《鉄圧延機工場》

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エドゥアール・マネ(1) • マネはリアリズムの系譜にありながらも、 ベラスケスに学んだ自由な筆致と平坦な 色遣いを用いた。彼の作品である『草上 の昼食』や『オランピア』は、(神話上 のモチーフではない)現実の裸体の女性 を描いたことから画壇に大きなインパク トを与え、論議を呼んだ。 • また、本人は否定したものの、印象派の メンバーと深く交流し、そのリーダー格 として扱われた。 • 『フォリー・ベルジェ―ルのバー』や 『笛を吹く少年』も有名である。 マネ《笛を吹く少年》

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エドゥアール・マネ(2) マネ《オランピア》 マネ《フォリー・ベルジェ―ルのバー》

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印象派(1) • 19世紀前半の写実主義の流れを汲み つつも、さらに新しい感性をもって 絵筆をとったのが1860年代に登場し た印象派と呼ばれる作家である。 • 彼らは光の動きや変化の質感をいか に絵画で表現するかということに重 きを置いていた。この目的のために 写実主義的な細かいタッチと異なり 荒々しい筆致を多く用い、また明確 な線が見られないような描写をした。 モネ《印象・日の出》

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印象派(2) • 彼らの多くが用いた手法に筆触分割 がある。これは色を混ぜずに一つ一 つの筆触が隣り合うように配置する という技法で、混色による明度の低 下を避け、自然の明るい色彩を表現 しようとした。 • また、印象派は前衛であり、サロン に囚われない活動をしていたことも 注目に値する。 モネ《陽を浴びるポプラ並木》 (国立西洋美術館蔵)

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印象派(3) • さらに、彼らに共通する特徴として、 同時代に対する興味が挙げられる。 • 印象派の画家の多くは中流階級出身 であり、モチーフもヨット遊びや競 馬、劇場など、この階級が好んだレ ジャーが多い。また、彼らの絵画が 比較的小型であることも、中流階級 の住居の規模を考慮したことが理由 である。 モネ《船遊び》 (国立西洋美術館蔵)

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印象派(4) • 印象派として、ここでは以下の画家 を扱う。前述したマネも印象派の一 人として扱われることが多い。 1. カミーユ・ピサロ 2. エドガー・ドガ 3. アルフレッド・シスレー 4. クロード・モネ 5. ピエール=オーギュスト・ルノワー ル ルノワール《湯女たち》

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カミーユ・ピサロ(1) • ピサロはクールベやコローから学び、 農村の自然と人物を主として描いた。 • 彼の美術史による重要性とは、8回行 われた印象派展にすべて参加し、印 象派とポスト印象派の両方に貢献し たことである。 • 彼は1000を超える作品を描いたが、 その中でも『ジャレの丘』が有名で あり、また国立西洋美術館で展示さ れている『立ち話』も白眉である。 ピサロ《立ち話》

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カミーユ・ピサロ(2) ピサロ《ジャレの丘》

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エドガー・ドガ • ドガは印象派ではあるが、その作品 は他のメンバーとは大きく異なり、 アングルに学んだ古典的手法によっ て現代生活の様相を描き出そうとし た。 • 彼はモチーフとしてオペラ座の踊り 子や上流人士から、社会の底辺であ る洗濯女や娼婦まで、様々な階層を 鋭く観察した。 • 代表作は『エトワール』や『三人の 踊り子』である。 ドガ 《エトワール(舞台の踊り子)》

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アルフレッド・シスレー • シスレーは筆触分割を用いて風景画 を多く描いた。 • 他の印象派の画家が後に印象派の技 法を離れた中で、彼は一貫して印象 派技法を保ち続けたことから「もっ とも典型的な印象主義者」として扱 われる。 • 代表作は『サン・マルタン運河』で ある。 シスレー《サン・マルタン運河》

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クロード・モネ(1) • 印象派の由来である『印象・日の 出』を描いたモネは印象派の創設者 であり、自然から受けた「印象」、 つまり主観的な感覚世界をキャンバ スに再現することを目指した。筆触 分割はこの試みのなかで生まれた技 法である。 • 『睡蓮』、『散歩、日傘をさす女 性』、『サン=ラザール駅』、『積 みわら』の連作などが有名である。 モネ《睡蓮》

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クロード・モネ(2) マネ《サン=ラザール駅》 モネ《散歩、日傘をさす女性》

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クロード・モネ(3) モネ《積みわら - 夏の終わり、朝の効果》 モネ《明るい日光の中の積みわら》

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ピエール=オーギュスト・ルノワール(1) • ルノワールはロココ美術の影響を受 け、女性や子どもなどの人物画を好 んで描いた。 • 彼は光を重視し、輪郭をとらずにす べて色の集まりで描いた。色彩も豊 富で、パリ市民の生活を生き生きと 平和的に描いている。 • 代表作は『ムーラン・ド・ラ・ギャ レットの舞踏会』『イレーヌ・カー ン・ダンヴェール嬢』である。 ルノワール 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》

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ピエール=オーギュスト・ルノワール(2) ルノワール 《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》 》

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本日のまとめ • 19世紀後半では列強体制が緩み、国 家統一を目指す多くの戦争や紛争が 起こった。 • 1880年代になると第二次産業革命な どの影響や植民地の再評価を理由と して帝国主義が席巻したが、その舞 台はアジアやアフリカであったため 大衆文化が成熟した。 • リアリズムを受け継ぐマネを先駆け にして、前衛である印象派が台頭し た。印象派絵画の大きな特徴は光や 動きを表現することに重きを置いた。 モネ《睡蓮》

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次回の内容 • 次回はポスト印象主義、象徴主義、 応用美術について扱います。印象派 は対象を固有色から解放したが、形 態や空間をあいまいにした。また、 思想や精神性への関心も薄く、次の 世代の画家はこの問題にそれぞれの 形で取り組むこととなる。 • 関連ワード • ゴッホ『星月夜』 • アール・ヌーヴォー ゴッホ《星月夜》