西洋美術史ゼミ第15回:ポスト印象主義・象徴主義・応用美術

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July 09, 22

スライド概要

隔週程度で行っている、世界史と西洋美術史の勉強会のスライドです。今回はポスト印象主義・象徴主義・応用美術について扱っています。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。以下のURLからスライドと補足資料をダウンロードできます。
https://github.com/amazuun/Art_of_Europe

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理系の大学生です。近代以降の美術史や思想史、現代美術について興味があります。厳密な考証は行っていませんが、可能な限り正確に書くことを心掛けています。後の物の方が出来が良いので、最新のものを最初に読むことをお勧めします。githubからはスライドと補足資料をダウンロードできます。参考文献は補足資料に記載しています。

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各ページのテキスト
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西洋美術史ゼミ 第15回 象徴主義・応用美術 発表者 あまずん 1

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発表者について あまずん Twitter : @quii_w (メイン) @amazuunsc(サブ) 理系の大学生(数学専攻)をやっています。 近代以降の美術史や思想史、現代美術について 興味があります。 2

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ゼミについて • 週1回程度で美術出版社「増補新装 カラー版 西洋美術史」を一章ずつ 読み進め、内容をまとめ発表します。 • また、高校世界史に沿う形で当時の 出来事についても説明します。 • そのため、世界史と美術史を同時に 学ぶことができるため、歴史が好き な方も美術が好きな方も学びを深め ることができます。 3

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前回の内容 • 19世紀後半では列強体制が緩み、国 家統一を目指す多くの戦争や紛争が 起こった。 • 1880年代になると第二次産業革命な どの影響や植民地の再評価を理由と して帝国主義が席巻したが、その舞 台はアジアやアフリカであったため 大衆文化が成熟した。 • リアリズムを受け継ぐマネを先駆け にして、前衛である印象派が台頭し た。印象派絵画の大きな特徴は光や 動きを表現することに重きを置いた。 モネ《睡蓮》

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本日の内容 世界史について • 帝国主義の影響など 美術について • ポスト印象主義 • 象徴主義 • 19世紀の彫刻(ロダン) • 応用美術 5

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全体の概略 • 世界史では、イギリスとドイツの対立が深まり、第一次世界大 戦の準備が進んでいきます。 • 美術史では大きくポスト印象主義、象徴主義、応用美術(デザ イン)を扱います。ポスト印象主義の画家は印象派の問題で あったあいまいな形態や精神性の無さをそれぞれの手法で克服 しようとし、また象徴主義は物質主義への懐疑から深い精神性 を暗示するような絵画を描きました。さらにこの時代、万国博 覧会をきっかけにして工業製品の造形性が注目を集め、応用美 術(デザイン)が花開きました。 • 今回も重たくて申し訳ないんですが、次回から世界大戦とその 美術を扱いたいという都合があるためご容赦ください……。 6

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本日の内容 • 世界史:世界分割と列強の対立 • 美術史:ポスト印象主義 • 美術史:ラファエル前派と唯美主義 • 美術史:象徴主義 • 美術史:彫刻の革新 • 美術史:応用美術とアール・ヌーヴォー 7

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世界分割と列強対立:CONTENTS ① 概略 ② 列強のアフリカ分割 ③ 列強の太平洋分割/ラテンアメリカ 進出 ④ 列強の二極分化

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列強のアフリカ分割 • 19世紀半ばに探検によってアフリカ 内陸部の資源が豊富であることが明 らかになり、列強はこの地域に関心 を示すようになった。そして、その 大部分を分割して植民地にした。 • これに対し現地の人々は地域の自立 や文化を守ろうとして抵抗したが、 こうした抵抗運動はやがて民族主義 運動や民族解放運動に成⾧し、20世 紀の歴史を形成する大きな流れにな る。 アフリカ縦断政策をとなえるローズとロ ドス島の巨像をかけた当時の風刺画

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列強の太平洋分割/ラテンアメリカ進出 • 太平洋地域についても欧米諸国が進 出し、オーストラリアや東南アジア 諸国が領有された。 • 多くのラテンアメリカ諸国は19世紀 前半に独立したが、民族構成が複雑 で貧富の差も大きく政情が不安定な 国が多かった。このため、アメリカ やイギリスの進出に対し経済的に従 属した。 ONCURATING Issue 34

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列強の二極分化:ドイツ • 1890年ドイツは対外行動の自由を広 げるため、ビスマルク体制下で結ん だロシアとの再保障条約を見送った。 これに反発しロシアはフランスに接 近し、露仏同盟を結んだ。これによ りフランスは外交的孤立を脱するこ ととなる。 露仏同盟を報じたフランスの雑誌

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列強の二極分化:イギリスと周辺諸国 • イギリスは⾧い間どの国とも同盟を結ば ない「栄光ある孤立」の立場をとったが、 ドイツの挑戦にそなえて日本と日英同盟 を結び、またフランス、ロシアと三国協 商を成立させドイツ包囲網を形成した。 • イタリアは三国同盟の一員であったが、 「未回収のイタリア」をめぐってオース トラリアと対立しフランスに接近した。 そして、ドイツは唯一の同盟国である オーストリアと結びつきを強めていく。 • こうして諸列強は、イギリスとドイツを それぞれの中心とする二つの陣営にわか れ、1910年以降軍備拡大を競い合った。 ドイツ・オーストリア VS イギリス・フランス・ロシア

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本日の内容 • 世界史:世界分割と列強の対立 • 美術史:新印象派・ポスト印象主義 • 美術史:ラファエル前派と唯美主義 • 美術史:象徴主義 • 美術史:彫刻の革新 • 美術史:応用美術とアール・ヌーヴォー 13

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ポスト印象主義 • 印象派の筆触分割は対象を固有物か ら解放したが、同時に輪郭を奪い形 態や空間をあいまいにした。また、 彼らのモチーフは主に都市の風景や 風俗であり、思想や精神性への関心 は薄かった。 • この問題に取り組んだのがポスト印 象主義の画家で、スーラ、シニャッ ク、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ が代表的である。 スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》

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ポール・セザンヌ(1) • 初期は印象派のグループの一員とし て活動していたセザンヌだったが、 1880年代からグループを離れ、独自 の表現を開拓した。 • 彼は自然とは一瞬の変化ではなく不 変のものだと考え、物の形や空間の 本質を理解し、理論的に構築された 絵画を作りたいと考えた。 • そうして生まれた幾何学的構図や規 則的なストローク、異なる視点から 見た画面の統合はキュビズムをはじ め以後の美術に多大な影響を与えた。 セザンヌ《リンゴとオレンジのある静物》

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ポール・セザンヌ(2) セザンヌ《大水浴図》

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ジョルジュ・スーラ/ポール・シニャック(1) • スーラ・シニャックは科学的な色彩 論的アプローチを実行したほか、輪 郭や明暗の回復を果たした。これは 個人の感覚に依存していた印象派の 問題を解決するための手段だった。 • 彼らに特徴的な技法は点描である。 これはまだ乾かない状態の絵具同士 が混ざり合ってしまうという、筆触 分割が持っていた問題を解決し、鮮 やかな色彩を生み出した。 シニャック《サン=トロぺの港》 (国立西洋美術館蔵)

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ジョルジュ・スーラ/ポール・シニャック(2) スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》

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ポール・ゴーギャン(1) • ゴーギャンは印象派の「絵画=視覚 的経験の記録」という方針に満足で きず、独自の画法を生み出した。 • クロワゾニスムと呼ばれるこの手法 は、はっきりとした輪郭線と鮮やか な色彩、単純化されたフォルムが特 徴である。 • 彼はこの手法を用いて現実と非現実 の融合した主観的な表現をし、象徴 主義の先駆となった。また、この表 現は彼が移り住んだタヒチの風俗が 影響しており、非西洋的なものでも あった。 ゴーギャン《説教の幻視》

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ポール・ゴーギャン(2) ゴーギャン《海辺に立つブルターニュの少女たち》 (国立西洋美術館蔵) ゴーギャン《タヒチの女(浜辺にて)》

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ポール・ゴーギャン(3) ゴーギャン 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》

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フィンセント・ファン・ゴッホ(1) • オランダ出身のゴッホは印象派の影 響を受けながらもやがて独自の表現 を切り開き、激しい色彩とうねるよ うなタッチで不安に満ちた激しい内 面世界を表現し続けた。 • この表現は自然や農民に宗教的価値 観を投影したもので、以後のフォー ビズムやドイツ表現主義に大きな影 響を与えた。 • ゴーギャンと親交が深かったことも 有名である。 ゴッホ《糸杉と星の見える道》

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フィンセント・ファン・ゴッホ(2) ゴッホ《ひまわり》 ゴッホ《星月夜》

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フィンセント・ファン・ゴッホ(3) ゴッホ《日没の種まく人》

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本日の内容 • 世界史:世界分割と列強の対立 • 美術史:新印象派・ポスト印象主義 • 美術史:ラファエル前派と唯美主義 • 美術史:象徴主義 • 美術史:彫刻の革新 • 美術史:応用美術とアール・ヌーヴォー 25

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ラファエル前派と唯美主義(1) • 後述する象徴主義は印象派と並ぶ一 大運動だが、ラファエル前派はその 先駆である。 • 1848年、ロセッティやミレイ、ハン トらを中心とする7人の若者がラファ エル前派兄弟団と称するグループを ロンドンで立ち上げた。 • 彼らはアカデミアで主流であったラ ファエロ(盛期ルネサンスの画家) 以降の理知的で優美な西洋絵画を退 廃とみなし、初期ルネサンスや北方 ルネサンスに由来する細部まで明瞭 な描法と鮮やかな色彩を取り入れた。 ロセッティ《魔性のヴィーナス》

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ラファエル前派と唯美主義(2) ミレイ《オフィーリア》

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ラファエル前派と唯美主義(3) • ラファエル前派は数年で解体したが、 1860年以降のイギリスでは彼らの影 響を受けた唯美主義(耽美主義)が 盛んになった。 • 唯美主義は、芸術作品は美しいこと だけを目的とすべきだという思想で、 その背景にはギリシア的な古典美へ の回帰と日本美術への興味があった。 • 著名な画家はホイッスラーであり、 彼は色彩と形態の組み合わせにより 調和のとれた画面を重視した。 ホイッスラー 《白のシンフォニー第1番-白の少女》

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本日の内容 • 世界史:世界分割と列強の対立 • 美術史:新印象派・ポスト印象主義 • 美術史:ラファエル前派と唯美主義 • 美術史:象徴主義 • 美術史:彫刻の革新 • 美術史:応用美術とアール・ヌーヴォー 29

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象徴主義(1) • 19世紀末になると、当世紀の繁栄を 支えてきた物質主義への懐疑から、 精神性や神秘主義への関心が高まっ た。そして、象徴主義と呼ばれる新 たな潮流が生み出されることとなる。 • 「象徴」とは「ほかのもので置き換 える」こと、つまり明確に表せない ことを暗示することを意味する。彼 らは視覚的に対象を表す美術におい ても、伝統的な物語や寓意ではなく、 また単なる日常や風景でもない、よ り深い精神性を暗示しようとした。

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象徴主義(2) • したがって、彼らにとって重要なの は主題や様式ではなくその扱い方で あった。 • 例として、宗教的でない主題に正面 観や三連画といった、宗教画で用い られてきた形式を用いて観念性を強 調することや、現実と非現実、人物 と背景といった異なるものの質感を 同化させることなどが行われた。 • これにより、美術は目に見えるもの の再現からよりいっそう離れ、主観 的なものになっていった。

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象徴主義(3) • 象徴主義は特定の団体ではないため、 • ギュスターヴ・モロー 他の様式として紹介した画家も象徴 • オディロン・ルドン 主義画家として扱われることがある。 • フェルナン・クノップフ 例えば、前述したゴーギャンについ ても象徴主義的要素が見られる。ま た、次回扱う世紀末芸術とも重なる 部分がある。 • ここでは右の画家を紹介するが、上 記のような事情は留意する必要があ る。

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ギュスターヴ・モロー • 前回少し触れたモローだが、彼は象 徴主義の画家としても扱われる。 • 彼は聖書や神話を題材にして、創造 と幻想の世界を多く描いた。 • 《サロメ》に代表される邪悪で魅惑 的な女性像(ファム・ファタール) のイメージは以後の絵画や文学、音 楽に大きな影響を与えた。 モロー《刺青のサロメ》

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オディロン・ルドン(1) • ルドンは印象派と同世代でありなが ら、独自の無意識化の世界を描写し たかのような幻想的世界を描き続け た。 • 初期は木炭や版画などでモノクロの 奇怪なイメージを展開していたが、 50歳を過ぎてからは油彩や水彩、パ ステルを用いて色鮮やかで華やかな 絵画を描いた。 • 代表作は『眼=気球』『蜘蛛』 『キュクロプス』である。 陳寅恪 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid =115393075による ルドン《蜘蛛》

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オディロン・ルドン(2) ルドン《眼=気球》 ルドン《キュクロプス》

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フェルナン・クノップフ(1) • クノップフはベルギー出身の画家で、 同国の象徴主義における指導者的存 在であった。 • 彼は夢想的で現実と非現実が混在す る独自の絵画様式を確立し、死、性、 眠りをモチーフとした絵画を描いた。 • 代表作は『私は私自身に扉を閉ざ す』『見捨てられた街』である。 クノップフ《見捨てられた街》

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フェルナン・クノップフ(2) クノップフ《私は私自身に扉を閉ざす》

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本日の内容 • 世界史:世界分割と列強の対立 • 美術史:新印象派・ポスト印象主義 • 美術史:ラファエル前派と唯美主義 • 美術史:象徴主義 • 美術史:彫刻の革新 • 美術史:応用美術とアール・ヌーヴォー 38

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彫刻の革新 • 絵画に比べ、19世紀の彫刻の変化は 緩慢に見える。この理由は、高価な 大理石やブロンズを主な素材として 用いていた彫刻はパトロンなしでは 成立せず、公的なモニュメントや建 築装飾が求められており、芸術家の 自由が制限されていたことである。 • しかしこの時代、新たな彫刻を推し 進め、近代彫刻への一歩を踏み出し た者がいる。それはロダンである。 ロダン《考える人》

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オーギュスト・ロダン • それまでの彫刻はあくまで神々や神 話などステレオタイプなものだった が、ロダンは人間の情念や苦悩、情 熱などをドラマティックかつリアル に表現した。 • しかし、彼は精神性の表現だけでは なく造形にも優れており、彫刻があ まりにリアルであったためにモデル から直接型取りしたのではないかと 疑われることもあった。 • 代表作は『考える人』『地獄の門』 『カレーの市民』である。 663highland - 投稿者自身による著作物, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=663105による ロダン《地獄の門》 (国立西洋美術館)

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本日の内容 • 世界史:世界分割と列強の対立 • 美術史:新印象派・ポスト印象主義 • 美術史:ラファエル前派と唯美主義 • 美術史:象徴主義 • 美術史:彫刻の革新 • 美術史:応用美術とアール・ヌーヴォー 41

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応用美術とアール・ヌーヴォー • 19世紀に行われるようになった万国 博覧会を契機として、生活に直結す る工芸品に対しても美術的価値観を 適用するようになる。こうして応用 美術(デザイン)が美術の一領域と して認められるようになった。 • 19世紀末から20世紀初頭にかけて アール・ヌーヴォーという美術工芸 運動が興った。これは有機的な曲線 を用いたことが大きな特徴である。 スタンラン《『黒猫』ポスター》

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万国博覧会と応用美術(1) • 1851年のロンドン万国博覧会を皮切 りに、19世紀の後半には各国の主要 都市で万国博覧会が開催された。 • 万博では各国の工業製品が見た目も 含めて比較される。従来職人や技術 者の領域と考えられていた実用的な 産業の生産物だが、これを機に産業 への美術の応用が意識されるように なる。これが応用美術と呼ばれる ジャンルの台頭である。 ロートレック 《ポスター『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』》

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万国博覧会と応用美術(2) • 応用美術の発展に寄与したのは、印 刷技法の発達であった。 • この時代に実用化した多色刷りリト グラフは宣伝分野への画家の進出を 促し、1880年代のジュール・シュレ や90年代のロートレック、ミュシャ、 ボナールを中心とするナビ派の画家 などがポスター芸術を発展させた。 ボナール《サロン・デ・サンのポスター》

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万国博覧会と応用美術(3) ロートレック《「ディヴァン・ジャポネ」ポスター》 ミュシャ《「ジスモンダ」ポスター》 (トリミング)

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万国博覧会と応用美術(4) • また、日常品の美的向上はイギリス ではアーツ・アンド・クラフツ運動 として具体化した。 • ウィリアム・モリスを中心とするこ の運動は、職人による丁寧な制作を 推進したため製品の価格が高くなり すぎたが、日常品のデザイン性の向 上に与えたインパクトは大きく国際 的にも大きな影響を持った。 • この運動は後述するアール・ヌー ヴォーの先駆けとなった。 モリスがデザインした壁紙

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アール・ヌーヴォー(1) • 1900年という世紀の変わり目から第 一次世界大戦までの四半世紀をベ ル・エポック(良き時代)と呼ぶ。 ヨーロッパ諸国は不気味な戦乱の危 機に目をつむり、つかの間の繁栄と 平和を楽しんでいた。 • この時代に起こった美術工芸運動と してアール・ヌーヴォーがある。こ れは「新しい芸術」を意味し、生活 空間の全てを統一したデザインとし て提示した。 ミュシャ《黄道十二宮》

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アール・ヌーヴォー(2) • アール・ヌーヴォーの特徴は花や植 物などの有機的モチーフや自由曲線 を組み合わせた新奇なデザインや、 鉄やガラスといった当時の新素材を 用いたことである。 • 分野としては建築、工芸品、グラ フィックデザインなど多岐にわたっ た。 • 特に有名な芸術家として、『サクラ ダ・ファミリア』のガウディやガラ ス工芸のエミール・ガレ、前述した ミュシャがいる。 Émile Gallé (French, 1846–1904) - Photograph by Rama, CC BY-SA 2.0 fr, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=426 8930による エミール・ガレ《花瓶》

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本日のまとめ • 帝国主義が席巻する中、列強国であるイギ リスとドイツは対立を深めていった。 • ポスト印象主義の画家はあいまいな形態や 精神性の無い絵画といった印象派の問題を 越えるために各人各様の画法を生み出した。 • 印象派と並ぶ一大運動である象徴主義が 興った。これは深い精神性を表現しようと するものだった。 • 彫刻分野ではロダンが活躍し、精神性・造 形性ともに革新的な彫刻を制作した。 • 工業製品の造形性が注目され、応用美術 (デザイン)が生まれた。アール・ヌー ヴォーは有機的なモチーフを用いた美術工 芸運動の一つである。 ゴッホ《星月夜》

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次回の内容 • 二つの大戦を含む20世紀前半の美術 は、政治、産業、社会、思想や学術 などとも関わりながら、大きく多様 な変化を遂げた。 • その中でフォービズムやキュビスム、 抽象芸術といった新たな絵画様式が 誕生するほか、デュシャンのように 「芸術」の概念そのものを問いなお す者も現れた。 • 関連ワード 1. デュシャン『泉』 2. ピカソ『アヴィニョンの娘たち』 デュシャン《泉》