木幡山伏見城発掘調査成果(2023)にみる自然と人の歴史

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March 17, 24

スライド概要

上記遺跡における考古学・自然地理学・生態学の複合的調査研究成果(2023春季)のまとめです。

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自然地理学と考古学の調査研究分野を往還するフィールドワーカーです。研究生活習慣の場は京都ですが、ユーラシア大陸東縁・極東における自然と人間活動の関わりをフィールドで学びます。

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各ページのテキスト
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2.木幡山伏見城周辺地域の地形面区分・変動地形条件と人間活動 中塚 (公益財団法人 良 向日市埋蔵文化財センター) 1.緒言 桜開花の春季。木幡山伏見城西外郭の一画、推定島津氏屋敷地の発掘調査に際し、遺跡の地形・ 地質を観察する機会を得た。調査区西縁を中心に、盛土遺構・層序に変位、変形をあたえる地震 痕跡を見出した。伏見山城構築過程のなかでの慶長伏見地震にかかわる痕跡に相当すると推察さ れた。遺跡や発掘調査区といったマイクロな空間スケールにおいて認識、判読されることから「変 動微地形」と呼ぶことができる。当該地域における先行調査のひとつをひもとく。今回調査地の 南西約 300 mの調査地(毛利長門西町、京都府埋文センター 1990 年度、辻本・柴 ,1991; 小池 ,1996) では同様に、桃山時代の遺跡層序を変位させ、江戸初期に改変をうける逆断層群が確認されており、 桃山丘陵西縁断層帯の 16 世紀末期の活動履歴の存在が示唆された。 他方、慶長伏見地震の主因について今日、一連の活断層のトレンチ調査や古地震研究成果にも とづき、六甲山系から大阪盆地北縁を東に延伸する有馬高槻構造線活断層系(ATL, 寒川 ,2010; 西山・ 原田 ,2022)、さらに ATL 東方延長にあたる京都盆地中央部に伏在する宇治川断層(京都市地域活 断層調査委員会編 ,2004)を起震断層とする可能性が示唆されている。これらの情況と変動地形の 最小単位、変動微地形を検出した今回の成果を端緒にして、京都盆地東縁断層帯と ATL 系の交合 部にあたる桃山丘陵南端全域に、自然地理学的検討の場を広げてみよう。伏見城の営まれた時代 をふくむ過去約 40 万年にわたる桃山丘陵の変動地形発達史と、人間活動場のかかわりについて以 下、図説をこころみる。丘と水際が対峙する変動地形特有の自然景観に対し地政的資源利用を目 論んだ桃山人たちの栄枯盛衰にふれてみたい。 2. 地域・遺跡概観(図1・2) 〔地域概観〕図1に、伏見城の構築された桃山丘陵南端を中心にして、現在の地形条件図に基盤 岩以浅の地形・地質条件、活構造(断層、リニアメント)の分布を重ねて示す(中塚 2011;2021, 国土地理院編 ,2022『都市圏活断層図』・産総研 ,2005『京都東南部地質図』を合成編集)。地形・ 地質の構成は高度分布順に、古・中生代付加体堆積物および火山岩類・岩脈からなる基盤岩、第 四紀層の丘陵地、大阪層群上部層の最終堆積・離水面としての高位段丘面群 HT(推定 Ma7 ~サ クラ・カスリ火山灰層準以浅 , 約 40 ~ 50 万年前下限)、低位段丘面群、扇状地・沖積低地である。 第四紀層の受け皿にあたる基盤岩の深度分布(50 mコンター)は深層地質ボーリング調査結果と 重力・反射法探査成果を照合して作成された資料(京都市防災協会編 2001, 京都市編 2003)を援用、 オーバーレイを施した。図2(a)に、各地形面を縫うように設ける側線沿いの断面(地形面プロファ イル)に、基盤岩深度を投射図化する。桃山丘陵南端の基盤岩岩体の北西 - 南東走向に対する縦横 - 79 -

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図1 地域概観図・基盤岩深度分布図 - 80 -

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図2 地形面投影断面図・調査地断面詳細図 - 81 -

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断面に相当する。西ないし南に急傾斜する基盤岩体上に、第四紀堆積物が厚く積層する状況が看 取される。地形面分布の節にて再論したい。さて地形・地質の骨格について、桃山丘陵の東西縁 辺において、基盤岩深度は局所的に -450m に達する山科盆地南部の一部をのぞき、おおむね -200 ~ -300 mと相対的に浅くなだらかであるが、丘陵南端から旧巨椋池・京都盆地中央に向け最深部 -695 m(KD-0:京都市編 2003 )まで急激に深度を増す。伏見城北背後の基盤岩の削剥平坦面(侵 食小起伏面)との高度差は約 880 mに達する。当該地域における第四紀約 145 万年間の変動量(隆起・ 沈降の履歴の総和)に相当する。丘陵地の隆起の原動力にあたる活構造について、丘陵西・東縁 辺にそれぞれ桃山(MYF)・勧修寺(KSF)断層の存在がしられる。前者は京都盆地東縁をきめ る花折断層系の南端に相当し、湾曲し不連続な分布パターンまた地形面を撓曲変位させる形状か ら、圧縮応力場における逆断層とみなせる。図1には今回の写真判読(赤色)、 『都市圏活断層図』 (白 色)、『産総研地質図』(黄色)それぞれによる断層地形区分を色分け併記する。 〔遺跡(発掘調査区)概観〕図2(b)に、変動地形発達史的課題を今回提起した調査区の微地 形と層序の状況を示す。本章において、層序を1:表土、2:伏見城構築層(盛土)、3:伏見城 構築面構成層(旧地表土層)、4:遺跡基盤層(高位段丘層・大阪層群上部層準)に区分する。 第2層は第3・4層、特に後者の花崗岩質砕屑物を主たる構築材として利用するが、調査区北 部サブトレンチ断面(写真中段)において、第2層系の葉理状積層(2c-2 層)が強震動にともな う変形を履歴する状況が看取された。本層準は直近の東壁断面 b-c´(写真下段)にみるように、 ほぼ東西走向・北向き高角傾斜の積み土の薄層群で構成されるが、南壁および調査区底面の層界 に顕著な乱れが生じている。水平的応力による積層の短縮・剪断塑性変形破断過程の存在が示唆 された。接続する東・西断面間の積層の変位程度の違いと震動時の応力的差異の関係が注目される。 他方、変形層準以浅の 2b・2c 層は、それぞれ水平・斜交葉理状の整う積土パターンを呈すことから、 第 2a/2b 層界変動イベント以降の通常の盛土過程が再開された状況を推測しうる。後節、変動地 形区分・分布の項にて再度言及する。 調査区南壁における現況での地形変換点の断面(写真上段)では、第4層系砂礫層の約 1.5 mの 落差と落差下端において漏斗状の凹みを充填する砂層が確認された。本地点は『都市圏活断層図』 の低断層崖位置と重なる。積層状況との比較から、開口成分を示す正断層性の変動微地形に相当 する可能性が示唆される。 また、今回空中写真判読では、調査区南壁西端付近を北に延伸する低崖が予察された(後述 F4)。『産総研地質図』記載断層のクロスチェック成果にあたる。本地点では自然科学分析節の断 面解釈図に示されるように、第 2/4 層界の層序が複雑にせん断破壊をうける状況が確認された。 これら変形痕跡が、伏在する低角断層(スラスト)上部の堆積物の破壊にかかわる可能性を考え ておきたい。したがって、前述の写真中段、丘陵斜面(撓曲高位面)とは逆向きの真西に低角度 で傾斜する第 2/3 層界面付近の層準が、撓曲前縁背後の上盤面に形成される正断層性の凹地にあ たる可能性も示唆される。 - 82 -

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3. 地形面区分(図3・4) 〔図法〕米軍空中写真ステレオグラフィ(立体写真判読術)による結果を地形面区分図として 示す。前置きが少し長くなるが、身体技法 Physical Technique と通底する自然地理学的 Physical Gegraphic 資料調査法の一端の委細と流れを紹介しておく。 桃山丘陵南端域において連続撮影された空中写真4点(1946 年7月撮影 , 西から順に M205-A-39 ~ 42)をディジタル上でトリミング・左右反転接合し、丘陵全体をカバーする交差法ステレオグ ラフ3セット(No.40・39,41・40,42・41 の組み合わせ)を作成する。従前は実体鏡下で実物 の写真上に判読結果をデルマトグラフ(油性色鉛筆)で直接描きこんだり、OHP 透明シートを写 真に貼付しサインペンでトレースし、さらに浄書した。他方、現在は大形ディスプレイに写真を 拡大表示し、オーバーレイアプリ画面に判読結果を直接描きこむようになった。また、交差法裸 眼実体視は平行法ステレオグラフの弱点ともいえる瞳孔間隔の制約とは関係なく、より広範囲で の観察を可能とする。同時に、注視によって判読から面区分にいたる確度を高めることができる。 分散視の平行法では得難い自然科学分析的スペックにあたると考える。 地形面は共通の構成物質・形成機序・形成(離水)年代をもつ地形単元(ユニット)として区 分される。地形面の変動履歴・変動累積性を検討する上で、年代情報が重要な要素をしめる。なお、 当該地域における野外調査的経験知と資料調査歴のあさい筆者作成の現況の地形面区分図は「予 察図」”Predictive map”の域を出ないことを、あらかじめことわっておきたい。また、空中写真・ 地形図(撮影年代の比較的近い測量図としての 1922 年都市計画基本図、立命館大学アートリサー チセンター版)に地形面区分の結果を示すことで、今後の検証につなげたい。 〔地形面の分布と層序の関係〕地形面は上位から順に高位段丘面群(コード:H)、低位段丘面群 (L)、H・L 面を刻む開析谷、扇状地面(AF)、沖積低地面(AL)に大区分する。なお、図幅上に おける説明の必要に備え 1km メッシュを設け、各区画に数字・アルファベット組み合わせによる コードをあたえる。また、各地形面の高度分布的特徴を知るべく、地形面の側面形状に極力あわ せて断面プロファイルを作成した。側線に区分図・プロファイル共通の 300m おき距離ゲージを 記入する。適宜対照したい。 高位段丘面群(H):最高位段丘(Ha)、高位段丘(Hb)、撓曲高位段丘(Hc)の各面に分ける。 城郭遺跡周辺における人工改変的輪郭を呈す面に、-a(artificial の略記)を付す。 Ha 面はかつて定高性をもつ隆起準平原面として認識された基盤岩山稜トップの小起伏面に相当 する。丹波高地南縁域の最低位面にあたる。今回図幅 4a・5a 区の標高 182.6m の大岩山周辺 (註1) の平坦~緩斜面を分区した。直接の年代情報をもたないが、第四紀断層ブロック運動以前の侵食 性残丘面とみなせることで、京都盆地中央部に伏在する基盤岩の最深部との高低差約 878m が盆 地形成における変動履歴の総量にあたると推察される。 Hb 面は丘陵地背面に分布する、開析が進行する段丘面として区分する。地質的には大阪層群上 部(改正粘土層 Ma6 以浅「桃山礫層」: 京都市 ,2006)の「くさり礫」含砂礫層・赤色風化堆積物 として記載される。前記の大岩山周辺 Ha 面付近 から基盤岩深度分布に整合的に、放射状・ドー (註1) - 83 -

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ム状に面高度を下げる。4a 区南端、標高 136 m付近が面の最高点であり、プロファイル2断面が 示すように、3a 区~ 4c 区にかけて北西 - 南東に走向し 3/4 区境界に谷中分水界をもつ直線的な開 析谷(組織地形的な構造谷)にむけて一旦高度分布を下げる。ついで、木幡山伏見城の拠点であ る本丸・二の丸推定地の Hb 面群 100 ~ 105 m標高点でふたたび高度を上げて、さらに西ないし 南に高度を下げていく。 プロファイルは全体に傾斜階状構造を示していて、断層ブロック的変動履歴の存在が示唆され る。傾動量は構造谷以東が約 40 m、以西が約 50 mと後者の落差が大きい。断層活動場の丘陵縁 辺~低地側への遷移と変動量の増加が示唆される。 植村(2004)は変位基準(活断層を挟んだ地形面の高度差)にもとづく桃山断層の平均変位速 度を 0.02 ~ 0.08 m /1000 年(H 面形成年代:30 万年前と仮定)と見積もる。他方、上記、Hb 面 傾動量からの変位速度は 0.13 m・0.16 m /1000 年に見積もられる。他方、小滝ほか(2011)が推 定する H 面形成開始期(断層盆地形成年代上限)約 47 万年前を援用し、0.09 ~ 0.11 m /1000 年 の変位速度がえられる。 なお、丘陵背面 Hb 面を「鍵面」として京都盆地中央部に延伸した場合、小滝ほか(2011)の 年代観を前提にして、宇治川断層調査地ボーリング成果(京都市地域活断層調査委員会編 ,2004) におけるカスリ火山灰(H=-132.1 m、Ma7 上位、470ka)もしくはサクラ火山灰(H=-143.61 m、 Ma7 下位、520ka)前後の層準に対比しうる。また、宇治川断層調査地以南の深層ボーリング KD-0 地点におけるカスリ火山灰層準直下の海成層の深度は 137.1 ~ 142.3 mである。上記するよ うに、Hb 面上限高度 136.2 mと Ma7 層準深度との間の、隆起・沈降量の均衡性が示唆される(藤 田 ,1977 の断層ブロックモデル)。高度差 268 m /47 万年に単純化する変動速度は 0.57 m /1000 年 と算定される。この値は後述、桃山丘陵東方・黄檗断層 L 面(植村 ,2004)また京都盆地西縁断層 帯(中塚 ,2021)において推定される断層変位速度に近似する。第四紀後期を通じての、広域かつ 等速的な変動速度の存在の可能性が示唆される。 Hb-a 面(Hb 面改変想定面)は木幡山伏見城最高位面にあたる本丸・二の丸復原面周辺に配置 される、直線状に堀として加工される開析谷縁辺の小規模の地形面として区分する。北堀遺構の南・ 北(3B 区)、今回調査地当方、内郭西縁(同)、本丸・二の丸南縁(3c 区)において小規模な平坦 面が点在する。城郭造営にあたって、より高所の段丘構成層が切り崩され、平場の造成が必要と される地点に土の資材として順次下方移動されたと推察される。切り盛り・ひな段造成における 基本形であろう。『伏見御城郭并屋敷取之絵図』(京都市蔵、本文図5)に記載される内郭施設群 とステレオグラフの直接の比較が可能であるが、絵図で堀と記載される個所が土居状の凸面とし て写真判読されたり、通水困難な凸型斜面に堀が描かれるなど、絵図と判読成果の間に少なから ず齟齬が生じている。今後、現地での再確認を要す。 Hc 面は丘陵西・南斜面を中心に分布する、Ha 面と連続する変動性の斜面(撓曲面)として区 分する。今回調査地周辺の地形面にあたる。東西約 450 mで約 20 mの高低差である。プロファイ ルでは約 2.5° W、斜面上位の調査地では 5.0° W 前後の緩斜面である。調査地東約 300 m地点に - 84 -

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図3 地形面区分図-1 - 85 -

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図4 地形面区分図-2 - 87 -

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は調査地との比高約6mの、さらに東の Hb-a 面「治部少丸」(前掲絵図記載)から 12 m下位の開 析谷中に、「治部池」が設けられる。東の水を集める開析谷は後述の南北性の断層地形条件にあわ せて必従的に併行したのち、もう一度東に直交気味に折れ曲がり、Hc 面を刻み下位の Lb 面への 排水に至る。調査地周辺への直近からの谷水利用は困難であるが、周辺の地質ボーリング成果(図 2(a))にみるように、G.L.-4 m付近に地下水位があることから、高台とはいえ井戸水利用を可能 とする水文条件下にあると推測される。 なお図幅北方、4a 区から 3a 区にかけて、Hc 面を下刻する北西向きの直線的で谷幅の広い開析 谷が存在する。谷底を直角に横断して連結状に設けられる堰堤群(Dv-a)が写真判読される。治 水にかかわる水制との類比から、近世以降の大形の土砂留め遺構に相当すると推察される。 低位段丘面群(L):高位段丘面群(H)から丘陵縁辺部に再堆積する砕屑物質で構成される地 形面として認識される。浅い開析谷をともなう開析扇状地面としての性格をもつ。高度分布から 高低 a・b の2面に区分する。丘陵南面は崖高おおきく、宇治川の側刻、下方侵食による河岸段丘 の景観を呈す。他方、桃山断層帯側では約3° W の緩斜面を呈する。L 面に区分するが地質年代 情報がなく、低位段丘時代に特定しえない。 図幅 3b・2b 区において、東の Hc 面から西の扇状地面に向け小規模の開析谷が延びる。谷頭は 伏見城北辺の堀を設ける谷筋と谷中分水界をなす。西の Lb 面上において鍵の手状、直線的な加工、 改変が施される。谷の南肩には不連続に土居状の高まり(L-a)を写真判読できる。前述『伏見御 城郭并屋敷取之絵図』に記載される伏見総構の外濠に相当する。 扇状地面(AF):低位段丘前縁に張り出し、低平な沖積低地面 AL と接する緩斜面である。撓 曲性の低崖をもつ。図幅西部では写真判読において AL との境界を決め難く、都市計画図(1922 年) に示される等高線の西辺りんかくを扇状地西縁として区分する。既存の発掘調査地点の地質成果 を参照することで、修整を要す。宇治川流路に臨む丘陵南辺(3c 区)では、 「指月城」復原域(sg,1592 年「隠居屋敷」着工・1594 年「新城」竣工)に東接する開析谷中から前縁の河畔にかけて、小規 模の扇状地面を確認しうる。なお、近年の研究成果において復原「大手門」真南にあたるこの開 析谷に「舟入」が復原されるが、谷底と宇治川流路の高低差がおおきく、水辺の条件をもたない。 他方、後述、沖積低地面にプロファイルが連続する開析谷を、4c 区西辺中央に確認できる。郭に 接続する「舟入」想定地点である。 沖積低地面(AL) :桃山丘陵を取り巻く、京都盆地・山科盆地の諸河川が形成する河成低地である。 西から順に、伏見の街場西半部が立地する鴨川低地(1a ~ 1d 区)、宇治川低地(2c ~ 4c 区以南)、 山科川低地(5 区)である。宇治川は伏見の南玄関のひとつである豊後橋(2d 区、河床標高 8.8m、 現観月橋)南詰以西の「小倉堤」と、同・以東の「槙島堤」の総称「太閤堤」(1594 年・文禄3年 着工、2d・3d 区)によって、堆砂の進行する堤内地「巨椋池」から分離・川除され、伏見城直下 に川港が建設された。曲流河川の滑走側に沿う槙島堤は宇治川右岸側(自然堤防北背後)の山科 川河口縁辺に後背湿地(ラグーン、「木幡池」痕跡)を形成し、前述の「舟入」(4c 区西縁)を立 地させるに至ったと推察される。伏見港遺構形成過程に直接かかわる考古学資料は不詳であるが、 - 89 -

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B 伊達街道 A C Hc 5 N 6 79.4m 丹波橋通 Lb Hb Hb-a 8 9 19 7 10 11 12 88.7m Db↓ 13 14 G 20 下板橋通 Hc 22-2 今回調査地 66.0m 15 22-3 23 P 80.4m 116 6 F2ʼ 22-1 25 24 F5 F1.5 F2 F3 F4 Hb 83.2m Dv 21 58.3m Aʼ Bʼ 200m Cʼ *地形面コードほか:本文参照, ベースマップ:本文図16を引用. (a)地形条件図 (m)A F1 0 Aʼ 90 80 70 60 50 40 (m) B 90 0 60 120 180 240 300 360 420 540 0 60 600 660 720 780 840 (m) Cʼ 100 80 90 調査地 70 80 60 50 480 Bʼ (m) C 70 0 60 120 180 240 300 360 420 480 540 600 (m) 60 120 180 (b)地形断面プロファイル 240 300 360 420 480 540 600 660 (m) 図5 調査地周辺地形条件図(中塚・辻本原図) 上流側、槙島堤対岸で実施された宇治川護岸遺跡(太閤堤遺跡)の構築・埋没層準について、 C 14 年代成果が得られている(中塚・釜井 ,2011)。暦年較正年代(下限)1620 cal AD から 1660 cal AD にかけて、堆砂による顕著な河床上昇の履歴を記録する。河道固定化事業としての「太閤宇治川」 の天井川化過程に相当する。下流側の伏見港周辺域での河況の悪化をもたらしたと推察される。 〔変動地形・変動微地形区分試案〕本章冒頭、図1に桃山丘陵東西両縁に分布する桃山断層の変 位地形について、先行研究成果(国土地理院・産総研編)を含め3色に分け表示するが、図3・ - 90 -

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4には赤色で今回の写真判読結果をしめす。断層帯南端に相当する調査地周辺域を中心に、上位 Hb 面から西端 AF 面の撓曲前縁まで、分布高度順に F1 ~ F6 のコードを付す。崖線は地形面の 起伏に沿うように西に弓なりにはらむが、いずれも不連続な分布パターンを描く。図5 (註2) に調 査地周辺の地形条件を示す。図5(a)の地形面区分は、米軍空中写真、国土地理院開示のカラー 空中写真(1974 年撮影)、同・DEM データにもとづく陰影地形図3者によってクロスチェックを おこなった。地形面コードとして、P:谷池(治部池)、Dv:開析谷、F2´・G 組み合わせ:断 層線谷(グラーベン推定)を補う。基図および今回調査区検出の地形変換線は本文編図 16 を引用 する。図(b)は、高位段丘撓曲面 Hc を中心とする縦・横断プロファイルである。今回調査地は F3・F4 の判読位置が重複する。それぞれ『都市圏活断層図』・『産総研地質図』に記載される。調 査区南壁において、F3 が約 1.5 mの砂礫層の落差と断面下部での正断層性の開口部として、他方、 F4 はきわだつ落差をもたないが、層序が複雑に剪断破壊される変動ゾーンとして確認された。後 者は城郭基礎にかかわる基本層序第2層系を寸断し、地震動による変位を履歴する。 各変動地形の垂直変位量について、国土地理院地図 DEM(数値標高モデル)データを用い断面計 測する。以下、概要を記す。 Hc 面の変位地形について、F2(3C 区西端、調査地東方):6.00 m、F4(調査地東縁):3.95 m、 F3・F4 北延長(2B 区東端、森林総研敷地):7.23 m、同(3A 区、藤森駅):6.40 m、Lb 面につ いて F4 南部(2C 区東端、JR 桃山駅近傍):5.09 m、F5 南端(2C 区「指月城」):3.04 m、Lb/ AF 境界における F6(2B 区南端、京阪丹波橋駅):2.15 m、の各変位量の計測値である。低位また 新規の地形面ほど変位量を減ずる傾向を指摘しうる。 京都市編 (2002, 植村原図資料) は桃山断層帯北部における H 面の垂直変位について、 6.3 ~ 7.4 m (西 大谷地内)、6.8 m(今熊野地内)、10.0 m(東福寺)の各実測値を示す。今回の桃山断層帯南端域 の垂直変位量と近似する。 なお、H 面形成年代(植村採用の約 300ka、今回の推定年代 470ka 以降、Ma7 以降の離水 = 変 動顕在化年代)と垂直変位量から推計される平均変位速度(いわゆる C クラスの活動度)と、H 面高度(あるいは深度)分布にもとづく変動量・速度(B クラス活動度)のあいだに桁違いの差 異があることを再度確認しておきたい。 4. 小結 桃山断層帯の変動地形面(高位段丘撓曲面 ,Hc 面)にあたる今回調査区において、強震動にと もなって形成されたとみられる変形・変位痕跡を確認しえた。変動イベントは木幡山伏見城構築 盛土過程のなかにあったと推察された。冒頭に記したように、1990 年代の先行発掘調査成果(Lb/ Hc 面境界地点、毛利長門西町地内の桃山時代 / 江戸時代初期境界層準における逆断層群検出)と の関係から、慶長伏見地震の起震断層としての桃山断層系の存在をあらためて指摘したい。これ まで想定されてきた有馬高槻構造線活断層系 ATL の当該期の古地震イベント、断層活動の実態 とあわせて、断層末端が交わる両断層帯が共役的関係をもって同期に地震活動をおこなった可能 - 91 -

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性が示唆される。文献資料の精査が要されるが、京都盆地東縁域・伏見~京三条間の地震被害の 多さに留意すべきであろう(西山・原田 ,2022;「日本付近のおもな被害地震年代表」『理科年表』 2022 年版)。 外形・構成物質・形成機構・堆積(離水)年代の4つのセットで地形を単元に分ける地形面区分は、 自然地理学・地形学の地形発達史研究における基本的手法である。地形面群の実態が景観構成に あたることから、景観変遷史を編もうとする人文地理学の分析方法にも通底する。地質的過去を 含む地表形態分析的な、かつ、今回研究対象とした桃山丘陵のように濃厚な人間活動場における 景観形成論的な領域双方からの、すなわち自然・人文複合的な調査研究の進展が要請される。 〔文献〕*:補記 市原実「大阪層群と大阪平野-資料・第四紀の日本列島4-」 『URBAN KUBOTA』No.11,p.p.26-29,1975 年 植村善博「変位地形と地下構造からみた京都盆地の活断層」 『京都歴史災害研究』第2号 ,p.p.7-28. 立命館大学歴史都市防災研究所 ,2004 年 植村善博『京都の地震環境』ナカニシヤ出版 ,123P,2001 年 木谷幹一・加茂祐介「京都盆地南部で掘削された KD-0 コア海成層層序の再検討」 『地球科学』64,p.p.99-109, 2010 年 京都市地域活断層調査委員会編 ,2004「京都盆地の地下構造を南北に分ける宇治川断層の第四紀断層活動」 『活断層研究』24,p.p.139-156,2004 年 京都市消防局編『京都の活断層』第2版 , P.272,2002 年 小池寛「伏見城跡」『発掘された地震痕跡』p.p.764・765, 埋文関係救援連絡会議・埋蔵文化財研究会 ,1996 年 小滝篤夫・加藤茂弘・木谷幹一「京都府南丹市 , 神吉盆地のボーリングコア中の大山起源の中期更新世テフ ラとその意義」『第四紀研究』50(1),p.p.35-48,2011 年 寒川旭「伏見地震を引き起こした活断層」『秀吉を襲った大地震 地震考古学で戦国史を読む』平凡社新書 , p.p.133-148,2010 年 辻本和美・柴暁彦「伏見城跡発掘調査概要」『京都府遺跡調査概報』第 44 冊 ,p.p.95-106, 財団法人京都府埋蔵 文化財調査研究センター ,1991 年 *桃山断層系における変動微地形検出の初例(本文・挿図未記載、小池 ,1996 がカバー) 中塚良・釜井俊孝『長岡宮都図譜~都の自然景観と防災の考古学~』同朋舎 ,8P,2011 年 中塚良「水辺の遺跡の自然地理学的研究-京都盆地北西部低地の変動と縄文・弥生時代地震履歴-」 『立命館文学』672,p.p.199 - 219,2021 年 中塚良「京都盆地北部・平安京左京七条一坊十二町周辺の地形条件」『平安京左京七条一坊十二町発掘調査報 告書』p.p49-57, 龍谷大学 ,2022 年 *本章図1:「京都盆地北部基盤岩類深度分布図・宮都配置図」を基図に調整。 西山昭仁・原田智也「1596 年文禄伏見地震に関する地震像の検討 -伏見・京都での地震被害を中心に- 『京都歴史災害研究』第 23 号 ,p.p.15 - 28, 立命館大学歴史都市防災研究所 ,2022 年 藤田和夫「近畿の第四紀地殻変動と地震活動」 『地質ニュース』267,p.p.10-20, 地質調査総合センター ,1976 年 吉岡敏和「京都盆地周縁部における第四紀の断層活動および盆地形成過程」 『第四紀研究』26(2)p.p.97-109, 1987 年 - 92 -

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〔註1・補記〕高位段丘(Hb 面)の最高位地点における河成地形由来の砕屑物の確認について: 脱稿後、木幡山伏見城の北背後にあたる大岩山(最高位段丘 Ha 面に地形面区分、標高 182m)周辺域にお いて補足調査を実施した。バックグラウンドを含め遺跡にかかわる調査研究対象ととらえる。ステレオグラ フによる地形面区分予察の成否を確認する作業の一環である。 図3・4の 4a 区に要点をプロットする(写真1:山頂直下 Loc.231119-02 からの景観) 。緯径度 N34° 56′ 47.99″・E135° 47′ 27.28″(GPS 実測値) 、標高 124.4 m(DEM 値)地点。層状チャート・頁岩の基盤岩類 を被覆する橙褐色系礫質壌土で構成される地表面において、小~中礫クラスのチャート・頁岩類主体で亜円 ~円形を呈す礫群の散布する状況を確認した(写真2~4:Loc.1119-01) 。地形面区分における Ha/Hb 面境 界レベル(約 137 ~ 166 m)下位、Hb 面トップレベルにおける露頭の状況に相当する。大阪層群上部層準(Ma6 ないし Ma7 以浅)の最終堆積面(Hb 面)における、領家帯花崗岩類主体の砕屑物から丹波高地基盤岩類砕 屑物への、物質供給場の交代すなわち変動地形条件の変化が示唆される。Hb 面形成下限年代(離水年代)に ついて、京都盆地中央部と西縁山間盆地の堆積層序との比較によって、およそ 470ky を想定する。つづく断 層ブロック運動による傾動、撓曲プロセスにおいて、より高位の段丘面前縁に新規の堆積面を付加したと推 察される。なお、Ha 面構成層準の情報が得られず、形成年代について凡そ第三 / 四紀境界年代を推定するが、 今後、緩傾斜して稜線に散在する小起伏面の直接の堆積層序をとらえうる可能性に留意したい。 〔註2〕地形判読にあたって、カラー空中写真は CKK-74-15 の C13-14 ~ 16 の3点を利用した。大縮尺・高精 度で情報量多く、米軍写真による図3・4の図5範囲について再判読を試みた。契機は本文図 16 に記載され る、調査区を西北西に横断し真西に延伸復原される地形的落差と、調査区東方の Hb 面を切る谷地形の関係性、 すなわち、谷池が設けられる開析谷(仮称治部谷)と調査区の落差の連続可能性の再確認である。調査区東 方の地形条件は治部谷(南向き主谷)、F2、F2・Dv に縁どられる Hb-a 面が南北走向で併行に分布する。東 西圧縮応力場における変動履歴が示唆される。主谷北方には鞍部をもつ谷地 (地形的弱線における堀の普請か) が不連続に確認できる。二つの鞍部のうち、南が前記、 『屋敷取絵図』 (略記)に記される土橋(Db)を想起 させる。さて、主谷に直交する東西向き「治部池谷」~ Lb 面のプロファイル A-A´ には、Hc 面の西への傾 動条件が表現される。層序情報での検証が要されるが、Hb 面における約 10 m以上の埋め立て工事を想定し ない限り、治部谷筋と調査区の落差を結びえない。他方、調査区南東には F2 から分岐し調査区に向けて延 伸する微起伏(F2´、僅かに東落ちか)を判読しえた。圧縮場としての断層変位地形の上盤側は、浅谷状に たわむ傾向が知られる。F2・調査区斜面間におけるグラーベン(断層線谷)の形成を想定しておきたい。なお、 グラーベンに沿って生じる湿潤な水文条件と、調査区内の切り盛りの再施工痕跡の関わりの可能性に留意し たい。みずみちの伏在による地盤改良の必要の発生にあたる。即ち、水文条件に則した人工地形改変である。 - 93 -

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附章 1.伏見城跡の盛土堆積物に関する検討 株式会社 古生態研究所 はじめに 今回の調査地は、伏見城跡の島津屋敷地に位置する。屋敷地の遺構の基盤をなす堆積物は、調査 地南部がひな壇状の平坦地造成に伴う切土された段丘堆積物、調査地北部が段丘斜面地の平坦地 造成に伴う埋め立て土からなる。今回の報告では、屋敷地構築に際して実施された地業に関する 情報を得ることを目的として、斜面地の埋め立て土の施工過程、および形成年代、材料の由来に 関する情報を得ることを目的として、出土炭化物の放射性炭素年代測定と炭化材の樹種同定、埋 め立て土に使用されている砂質堆積物の由来に関する情報を得ることを目的として、砂粒の鉱物 組成を検討する。 1 調査地の概要 調査地が位置する桃山丘陵周 辺の地形・地質は、植村(1999) によると、東側より、固結した 基盤岩(中生代の丹波層群)か らなる山地、大阪層群からなる なだらかな丘陵地、最終氷期以 調査地 前に形成された高位段丘、最終 氷期に形成された低位段丘、こ れら上流域からの土砂流出によ り形成された扇状地、完新世段 丘面である氾濫原Ⅰの順に配列 することが指摘されている(図 1)。このうち扇状地では南南西 -北北東方向に伸びる、西向き に傾斜する桃山断層の活撓曲(断 層による変位が軟らかい地層内 で拡散し、地表には段差ではな くたわみとして現れたもの)が ベースマップは植村(1999):京都盆地の地震災害危険度マップより一部抜粋引用、調査地を加筆 図1 調査地の位置 確認され、また、高位段丘面にも、 - 58 -

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南南西-北北東方向にのびる、人工改変により位置がやや不明瞭な活断層が確認されている。今 回の調査地は、高位段丘面の位置不明瞭な活断層南端に位置している。なお、調査地の段丘につ いて、脇田ほか(2013)は後期更新世前半に形成された中位段丘に区分している。また、中塚(本 報告書)は高位段丘に区分し、段丘面の起伏が構造地形であることを指摘し、調査地内に変動微 地形(断層の可能性がある)として南南西-北北東方向にのびる F3、F4 を認めている。 現在の調査地は西向きに傾斜する平坦な斜面地で、竹林として土地利用されている。発掘調査 の結果、この平坦面は安土桃山時代の人工改変により形成されたものであることが確認された。 調査地北半部が北東向きの斜面地を埋め立てた人工造成地、調査地南半部が高位段丘構成層の切 土面からなる。 2 調査地の層序 調査地の層序模式断面図を図 2、調査地の断面写真と主な構造を図 3 ~ 6 に示す。調査地の堆積 層は現地調査および調査時に撮影された画像データの観察結果から、1 層~ 4 層に大区分される。 各層の層相を以下に示す。なお、1 区については現地調査が十分でなく調査時に撮影されたオルソ 画像を中心に検討した。なお、堆積物や偽礫の粒径区分は Wentworth(1922)を参照した。 1 層:現在の表土。竹林として土地利用されていたため、上部 0.15m 程度は地下茎などの擾乱 が著しく、初生の構造が確認できないが、下部は腐植質泥質砂(土壌)の偽礫(ブロック土)の 集合からなる、人工的な再堆積物であることが確認される。礫支持(隣り合う偽礫が互いに接触 した状態)で亜角~角塊状を呈する亜大礫サイズ以細の大小の偽礫の集合からなり、偽礫どうし が癒着している。少量の細礫~中礫が混じる。下位の 2-1 層との層界は、東側の高所では 1 層の土 壌化の影響で不明瞭となっているが、調査地西側の低所では比較的明瞭な層界をなして積層して いる。 2 層:安土桃山時代の遺構の基盤をなす、島津屋敷地構築に伴う地業層。調査地南半部の切土面 上の盛土と、調査地北部の北東向きの斜面地の埋め立て土が相当する。施工状況から、上位より 2-1 層、2-2 層、2-3 層に区分した。 2-1 層は、調査地南部(1 区)の切土面上の盛土と 2 区斜面地の埋め立て土最上位の盛土である。 水平方向に積層する層状盛土で、上面が安土桃山時代の地表面に相当する。盛土に利用されてい る堆積物は多様で、腐植質泥質砂(土壌)、高位段丘構成層由来とみられる黄褐色~褐色泥質砂・砂・ 礫、大阪層群由来の可能性がある泥などを材料とする大小の偽礫とその混合土からなる。盛土材 料の選択や積み上げ方は、砂質堆積物と泥質堆積物の混合土を煩雑に積み上げている箇所も認め られるが、基本的には砂質堆積物と泥質堆積物の順に層状に積み上げた後、填圧・延圧による締 固めを行い、この施工の繰り返しにより盛り上げ、平坦面を形成している。特に最上部は、基質 支持堆積物のようにみえるほど、填圧,延圧などの圧密により、盛土材料である泥質堆積物の偽 礫の輪郭が不明瞭となっている。また、調査地北西部(2 区西部)では、厚く堆積する層状盛土中 に、土地の水はけを考慮したとみられる、基質堆積物を含まない礫支持の礫層(細粒の大礫・中礫) - 59 -

16.

- 60 - 61.0m 62.0m 63.0m 64.0m 65.0m 62.0m 63.0m 64.0m 65.0m 0 泥 砂礫 0 東 泥 砂礫 東西断割 5 5 2-1 4 1 泥 砂礫 66.0m 1 2-1 東 南壁断面 東壁断面 67.0m 68.0m 63.0m 64.0m 65.0m 66.0m 67.0m 68.0m 10 10 C-1 14 泥 砂礫 15 泥 砂礫 15 2-2Mb 14 C-2 2-2Ma 2-2Uc 20m 泥 砂礫 1 62.0m 20m 泥 砂礫 2-2Ub 泥 砂礫 2-2Mb 2-2Uc 2-2Ub 2-2Ua 2-1 1 14 2-3 2-2Mb C-6 2-2Mc 4 泥 砂礫 3 泥 砂礫 泥 砂礫 3 西 泥 砂礫 0 泥 砂礫 調査地の層序 4 14 C-7 泥 砂礫 図2 泥 砂礫 泥 砂礫 2-2La 2-2Lb 14 C-5 2-2Mc 2-3 2-2Uc 2-2Ma 2-1 4 61.0m 62.0m 63.0m 64.0m 65.0m 1 5 泥 砂礫 0 東西断割 泥 砂礫 10 凡例 62.0m 63.0m 64.0m 65.0m 66.0m 67.0m 68.0m 風化土壌・堆積物 炭片 腐植質土壌 細・中礫 生物擾乱 変形構造 偽礫 中~極粗粒砂 大・巨礫 人為的撹拌 泥 砂礫 植物根痕 泥 砂礫 西 斜交葉理 2-1? 1 100m N 泥 砂礫 水平葉理 1区 ←東壁断面 2区 20m シルト・粘土(泥) 15 泥 砂礫 極細~細粒砂 ↑ 南壁断面 4 2-1 1 変形ゾーン C:年代測定位置 14 南 63.0m 64.0m 65.0m 66.0m 67.0m 68.0m

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- 61 - 拡大 4 4 2-1 1 拡大 1 2-2Mb が腹みだしている 拡大 1 1 拡大 2 2-2Mb 2-2Ma 2-2Uc 2-2Ub 2-2Ua 2-1 66.0m 67.0m 68.0m 64.0m 65.0m 66.0m 拡大 3 拡大 2 図3 2-2Mb 2-2Ma 2-2Uc 2-2Ub 2-2Ua 2-1 1 調査区東壁の堆積状況 14C 試料⑦ 63.0m 64.0m 65.0m 66.0m 67.0m 2-2Ma 2-2Mc 2-2Mb 2-2Uc 2-2Ua 2-1 1 2-2Ma 層より下位層が変形。上部に向けて変形顕著 拡大 3 拡大 4 2-2Lb 2-2La 14C 試料⑤ 63.0m 試料⑧ 64.0m 65.0m 66.0m 67.0m

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- 62 - 61.0 62.0 63.0 標高(m) 64.0 65.0 標高(m) 64.0 65.0 標高(m) 0 南壁① 2-2Ub 南壁③ 南壁② 14C 試料⑥ 2m 2-2Uc 東壁から続く 2-2M 盛土層西端 2-1 E 2-2Mc 2-2Mb 0 2-2Ub 南壁① 2-3 2-2Ma 2m 2-2M 盛土層の走行が変化する位置 2-2Uc 2-2Ub 14C 試料① 2-2Uc 2-2Mc 4 14C 試料② 0 南壁③ 2-2Mb 2-2Mb 2-2Uc 図 4 東西断割断面写真と主な構造 南壁② ←段切り? 2-2Uc 3 2-2Mc 2-2Ma W 2m 2-2Uc W 0 61.0 62.0 63.0 S 0 3 2-2Mc 標高(m) 61.0 62.0 63.0 64.0 65.0 標高(m) N 4 1m 2-2Uc 2-2Ub 2-1 4 西壁 4 2-3 2-2Mc 東壁 2-2Mb 2-2Mb 2-2Ma 4m N S

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N S 2-2Ub 2-2Uc 2区西部 2-2Ub 上段盛土の堆積状況 S N 2-2Uc 2-2Uc 2-2Ma 2-2Ma 2-2Mb 2区東壁 上段・中段盛土の境界 2区東壁 上段・中段盛土の境界 ( 左写真□範囲 ) 2-2Mb 2-2Ma 2-3 2-2Mb 2-2Mc 3 2-2La 2-2Lb 2区東壁 下段・中段傾斜層状盛土の境界 2区東壁 図5 2-3 層・2-2 層盛土の境界 盛土の積層状況 - 63 -

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- 64 - ←せん断 2 区東西断割 ( 西から撮影 ) 4層 2-1層 1層 2-3 2-2Mc DZ 正断層?→ 2-1層 2-2Mb 2-2Ma 2-2Uc ←肩部盛土の崩積土 DZ:変形ゾーン 上部に向かって変形が顕著となる。 4層 ↑ 切土法面肩部の 盛土の滑動移動 1層 0 5m 10m 15m 20m 4層 E 2-2Uc F 1層 G 2-2Uc 地震動の押し引きによる中段盛土上部の変形 調査地で確認された変形構造 2 区東壁 図6 4層 2-1層 E 1 区南壁 平面における盛土の ←せん断 湾曲状況 ↓ ←黄褐色土盛土が せん断応力により、 矢印部分で上方に 折れ曲がる ( 左写真□範囲 ) 2-1層 2-2Ma 2 区東壁 10cm 中段盛土最上部の墳砂脈 せん断応力により引き摺り上げられた4層偽礫 61.0m 62.0m 63.0m 64.0m 65.0m 66.0m 64.0m 65.0m 67.0m D 68.0m 66.0m W 67.0m E 68.0m

21.

の盛土を挟在する部分も確認される。このような場所による盛土施工状況の多少の差異について は、発掘調査成果を踏まえた複合的な検討が必要である。また、調査地南西部の 2-1 層上部は腐植 が集積し土壌化が進行している。2-1 層上面が屋敷地機能面に相当することから、屋敷地が放棄さ れた後、植生に覆われる場所に変化したことが示唆される。 2-2 層は、2 区北東向き斜面地の切土後の空間を充填している盛土で、一連の工程の繰り返しに より形成された盛土である。盛土に使用されている堆積物は、風化した礫、砂、泥質砂~砂質泥 の偽礫、腐植質泥質砂(土壌)などである。施工状況の違いから、上位より、2-2a、2-2b、2-2c 層 に細分される。 2-2a 層は、下記する 2-2b 層上面の多少の起伏のある平坦面を覆う水平方向の層状盛土である。 最上部は風化した泥質堆積物を材料とする盛土で、填圧・延圧により固く締まっている。この泥 質堆積物の下位は砂、礫、泥質砂偽礫などの粗粒な砂質堆積物を使用した盛土で、締め固めが行 われていない場合が多い。このような砂質堆積物と泥質堆積物の盛土層を繰り返し積層させてい る場所もある。 2-2b 層は、斜面(切土)壁と平行に傾斜する(おおよそ 1 割 5 部勾配:傾斜角 35 度)、厚さ数 10cm で、斜面壁から側方付加するように積層させている傾斜する層状盛土である。傾斜する層状 盛土の各単層は、同質の材料を使用し、一定の幅を保ちつつ、下部から上部にかけて積み上げて いる。また積み上げ時に斜面外側から多少の締め固めを行っている。傾斜する層状盛土単層の平 面形は、両端がすぼまっている板状を呈する。中段盛土上部では斜面外側方向に多少湾曲してい るが、後述する地震動による変形である(図 6)。 2-2c 層は、2-2b 層の傾斜する層状盛土の法尻部分の小堤盛土である。盛土法面に平行方向に設 置されている。小堤盛土の材料は、礫支持で、大・巨礫サイズの亜角~角塊状の偽礫が使用され ている。主に泥質堆積物の偽礫を使用しているが、砂質堆積物の偽礫を使用している箇所もある。 基質は偽礫と同質の場合、異なる場合の双方があるが、概して砂からなる場合が多い。上部は偽 礫が多少崩壊・細粒化しているが、中・下部はほとんど変形しておらず、初生構造を残す。 2-2 層は、以上の 2-2c 層・2-2b 層盛土の繰り返しと、その上面に 2-2a 層を盛土する、一連の工 程で形成された盛土堆積物(以下、傾斜層状盛土と呼ぶ)で、斜面地東部では 3 段の傾斜層状盛 土(2-2U・M・L 層)の累重が確認されている。各段階の垂直層厚は、下段(2-2L 層)が 0.6m 以 上(下限が調査底面のため確認できていない)、中段(2-2M 層)が約 2.5m、上段(2-2L 層)が 約 1.3m である。斜面地西部では下段の盛土は存在せず、中段・下段の 2 段からなる。 2-3 層は、斜面地の切土面上の盛土である。調査地西部の東西断割トレンチでは、3・4 層の段切 り面上に積層する、黄褐色~暗褐色砂質泥・泥質砂の偽礫からなる盛土堆積物である。層厚は最 下段面で約 1m、最上段で上段で 0.2m 程度、盛土後の上面は緩斜面を形成している(図 4)。一方、 調査地東部では2区斜面肩部の切土された黒色腐植質土壌面上に、褐色泥質砂土、腐植を含む暗 褐色泥質砂、明褐色泥質砂、中礫・粗粒砂混じり泥質砂を材料とする盛土が前置層状に積層して おり、斜面下方側は 2-2 層形成期に切土されている。 - 65 -

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3 層:高位段丘構成層を被覆する土壌生成が進行した泥質砂層が相当する。調査地北部(2 区) の北東向き斜面地で確認される。上部が切土されているため、残存層厚は 0.15m 程度である。後 述するように腐植質土壌中の炭片は、古墳時代の年代を示している。 4 層:高位段丘構成層。調査地南部の 1 区側は葉理構造の発達する砂~砂礫層からなる河川堆 積物である。下位は基質支持の砂礫層からなる。堆積物全体は通常の河川堆積物より淘汰が悪く、 大きさが周囲と不調和な巨礫サイズの偽礫が取り込まれている層準も確認される。また風化が進 行している。礫のファブリックから、南西から北東方向の古流向が示唆される。上部は斜交葉理 が発達する花崗岩質の砂層~砂礫層からなり、南北断面では南から北方向の古流向を示すフォー セット層理が確認される。一方、調査地北部の東西立割トレンチでは、平行葉理構造をなす泥質 砂と砂礫層の積層からなる。逆級化成層(増田・伊勢屋 ,1985)をなす層準もあり、層相から氾濫 堆積物と推定される。4 層は、安土桃山時代の造成に伴い切土されているため、本来の層厚は不明 である。切土された砂質堆積物は、北半部(2 区)の斜面地などの埋め立て地の材料として利用さ れている可能性もある。 3 盛土出土炭化物の年代測定と炭化材の樹種 (1)試料 試料は、安土桃山時代の盛土堆積物(2 層)から出土した炭化材・炭化植物遺体 5 点(試料 1 ~ 3・5・ 6)、盛土堆積物直下の 3 層の土壌層から出土した炭化物 1 点(試料 7)、盛土上面の SK784 遺構埋 土から出土した炭化材 1 点(試料 SK784)の合計 7 点である(図 2)。このうち、同定可能な大き さの破片を確保できた試料番号 1 ~ 3 と試料 SK784 の 4 点について樹種同定を実施する。 (2)分析方法 放射性炭素年代測定:試料は、メス・ピンセットを使い、付着物を取り除く。 酸 - アルカリ 酸(AAA:Acid Alkali Acid)処理により不純物を化学的に取り除いた後、調製後、加速器質量 分析計(NEC 製 1.5SDH)を用いて測定した。得られた C 濃度について炭素同位体比(δ C)、 14 13 同位体分別効果の補正を行った後、 C 年代、暦年代を算出した。 14 結果は、同位体分別効果の補正に用いる炭素同位体比(δ C)、同位体分別効果の補正を行っ 13 た C 年代(慣用に従って年代値と誤差を丸めて表示した値と、暦年較正に用いた下 1 桁を丸めて 14 いない値)、暦年較正年代結果を示した一覧表として示す。また、各試料の較正年代確率密度分布、 Intcal 較正曲線に配した較正年代確率密度分布図等を図示する。 なお、 C 年代は AD1950 年を基点にして何年前かを示した年代で、 C 年代(yrBP)は、 C の 14 14 14 半減期として Libby の半減期 5568 年を使用して算出する。また、付記した C 年代誤差(± 1 σ)は、 14 測定の統計誤差、標準偏差等に基づいて算出され、試料の C 年代がその C 年代誤差内に入る確 14 14 率が 68.2%であることを示す。また、暦年較正とは、大気中の C 濃度が一定で半減期が 5568 年 14 として算出された C 年代に対し、過去の宇宙線強度や地球磁場の変動による大気中の C 濃度の 14 14 変動、および半減期の違い( C の半減期 5730 ± 40 年)を較正して、より実際の年代値に近いも 14 - 66 -

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のを算出することである。 C 年代の暦年較正には OxCal4.4(較正曲線データ:IntCal20、暦年較 14 正結果が 1950 年以降にのびる試料については Post-bomb atmospheric NH2)を使用した。Postbomb atmospheric NH2 は,SummerITCZ ~ 40° N(夏の熱帯収束帯から北緯 40°以南)の地 域の試料に適用できる較正曲線である。 樹種同定:炭化材を自然乾燥させた後、木口(横断面) 、柾目(放射断面)、板目(接線断面) の 3 断面について割断面を作製し、アルミ合金製の試料台にカーボンテープで固定する。炭化材 の周囲を樹脂でコーティングして補強する。走査型電子顕微鏡(低真空)で木材組織の種類や配 列を観察し、その特徴を現生標本および独立行政法人森林総合研究所の日本産木材識別データベー スと比較して種類(分類群)を同定する。なお、木材組織の名称や特徴は、島地・伊東(1982)、 Wheeler 他(1998)、Richter 他(2006)を参考にする。また、日本産木材の組織配列は、林(1991) や伊東(1995,1996,1997,1998,1999)を参考にする。 (3)結果 放射性炭素年代測定・暦年較正結果および樹種同定結果を表 1 に示す。また、各試料の較正年 代確率密度分布を図 7、木材組織写真を図版1に示す。以下に試料別に結果について記載する。 表1 各試料の 14C年代値・暦年較正結果および炭化材の樹種 試料番号 試料状態 種類 層位 試料1 2区東西断割南壁 中段盛土中部 試料2 2区東西断割南壁 中段盛土中部 試料3 2区東西断割北壁 中段盛土中部 試料5 2区東壁下段盛土 試料6 2区東西断割トレンチ 14 13 δ C(‰) C年代 (yrBP±1σ) 暦年較正用 (yrBP±1σ) 炭化材 (樹皮無:不定形破片) ヒノキ 暦年較正結果(cal BC/AD) Code 2σ(95.4%)の範囲 No. 403-482 cal AD (64.8%) 491-538 cal AD (30.6%) PLD50383 240-255 cal AD (17.9%) 286-325 cal AD (50.3%) 231-261 cal AD (27.8%) 277-339 cal AD (67.6%) PLD50384 265-272 cal AD ( 6.6%) 258-280 cal AD (16.5%) PLD- 350-405 cal AD (61.6%) 333-414 cal AD (78.9%) 50385 1670-1686 cal AD (12.2%) 1733-1779 cal AD (37.1%) 1662-1695 cal AD (17.9%) 1724-1813 cal AD (52.1%) 1799-1805 cal AD ( 4.9%) 1928-1946 cal AD (14.1%) 1838-1878 cal AD ( 4.6%) 1915-1953 cal AD (20.8%) 1674-1695 cal AD (12.2%) 1725-1744 cal AD (12.0%) 1668-1700 cal AD (15.1%) 1σ(68.3%)の範囲 410-436 cal AD (41.1%) -21.00±0.18 1630±20 1632±21 年輪数61年 465-475 cal AD ( 8.7%) 501-508 cal AD ( 5.0%) 516-530 cal AD (13.5%) 炭化材 (樹皮無:節部分破片) ヒノキ -23.56±0.20 1780±20 1781±20 -23.87±0.17 1700±20 1699±21 -37.51±0.16 170±20 171±21 年輪数6年 炭化材 (樹皮無:破片:約7㎜) ヒノキ 年輪数8年 炭化植物遺体片 炭化植物遺体片 1750-1765 cal AD ( 9.0%) -27.99±0.19 150±20 151±19 2-3層盛土 1799-1812 cal AD ( 8.6%) 1721-1781 cal AD (28.7%) 1796-1816 cal AD ( 9.9%) 1839-1844 cal AD ( 2.2%) 1854-1877 cal AD ( 6.4%) 1833-1889 cal AD (19.7%) 1908-1953 cal AD (22.1%) PLD50386 PLD50387 1916-1943 cal AD (17.8%) 試料7 2区南北断割東壁 炭化材 高位段丘被覆層 土壌層(3層) SK784 埋土 (2-2層上面) (小破片) 炭化材 (樹皮有:ミカン 割状) アワブキ属 -26.25±0.16 1740±20 1739±20 -25.95±0.16 375±20 376±19 252-290 cal AD (31.0%) 320-361 cal AD (37.3%) 247-383 cal AD (95.4%) PLD50388 1460-1500 cal AD (50.7%) 1454-1521 cal AD (64.6%) PLD- 1600-1615 cal AD (17.6%) 1579-1624 cal AD (30.9%) 50389 年輪数7年(半径3.5㎝) 1) 暦年較正年代の計算は OxCalv4.4 較正プログラム(Bronk Ramsey 2009)を使用。較正曲線データは IntCal20 較正曲線(Reimer et al. 2020)を用い、暦年 較正結果が 1950 年以降にのびる試料については Post-bomb atmospheric NH2(Hua et al 2021, Reimer et al 2020) を使用。 2) 同定された炭化材分類群の解剖学的特徴 ・ヒノキ Chamaecyparis obtusa (Sieb. et Zucc.)Endlcher ヒノキ科ヒノキ属 軸方向組織は仮道管と樹脂細胞で構成される。仮道管の早材部から晩材部への移行は緩やか~やや急で、晩材部の幅は狭い。樹脂細胞は晩材部付近に認めら れる。放射組織は柔細胞のみで構成される。分野壁孔はヒノキ型~トウヒ型で、1 分野に 1 ~ 3 個。放射組織は単列、1 ~ 10 細胞高。 ・アワブキ属 Meliosma アワブキ科 散孔材。道管は単独または 2 ~ 4 個が放射方向に複合して散在する。道管の穿孔板は単穿孔板および段数の少ない階段穿孔板、壁孔は交互状となる。放射組 織は異性、1 ~ 4 細胞幅、1 ~ 60 細胞高。 - 67 -

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OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Atmospheric data from Reimer et al (2020) 試料1_Date(1632,21) 68.3% probability 410 (41.1%) 436calAD 465 (8.7%) 475calAD 501 (5.0%) 508calAD 516 (13.5%) 530calAD 95.4% probability 403 (64.8%) 482calAD 491 (30.6%) 538calAD 1800 1700 1600 1500 試料2_Date(1781,20) 68.3% probability 240 (17.9%) 255calAD 286 (50.3%) 325calAD 95.4% probability 231 (27.8%) 261calAD 277 (67.6%) 339calAD 1900 Radiocarbon determination (BP) Radiocarbon determination (BP) OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Atmospheric data from Reimer et al (2020) 1800 1700 1600 1400 1500 300 400 500 600 100 200 Calibrated date (calAD) 試料5_Date(171,21) 68.3% probability 1670 (12.2%) 1686calAD 1733 (37.1%) 1779calAD 1799 (4.9%) 1805calAD 1928 (14.1%) 1946calAD 95.4% probability 1662 (17.9%) 1695calAD 1724 (52.1%) 1813calAD 1838 (4.6%) 1878calAD 1915 (20.8%) 1953calAD 0 Radiocarbon determination (BP) Radiocarbon determination (BP) OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Post-bomb atmospheric NH2 curve (Hua et al 2021, Reimer et al 2020) 試料3_Date(1699,21) 68.3% probability 265 (6.6%) 272calAD 350 (61.6%) 405calAD 95.4% probability 258 (16.5%) 280calAD 333 (78.9%) 414calAD 1700 400 Calibrated date (calAD) OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Atmospheric data from Reimer et al (2020) 1800 300 1600 1500 -1000 -2000 -3000 -4000 1400 200 300 400 500 1600 1700 Calibrated date (calAD) Radiocarbon determination (BP) -2000 -3000 -4000 1700 1800 OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Atmospheric data from Reimer et al (2020) Radiocarbon determination (BP) 試料6_Date(151,19) 68.3% probability 1675 (12.2%) 1695calAD 1725 (12.0%) 1744calAD 1750 (9.0%) 1765calAD 1799 (8.6%) 1812calAD 1839 (2.2%) 1844calAD 1854 (6.4%) 1877calAD 1916 (17.8%) 1943calAD 95.4% probability 1668 (15.1%) 1700calAD 1721 (28.7%) 1781calAD 1796 (9.9%) 1816calAD 1833 (19.7%) 1889calAD 1908 (22.1%) 1953calAD -1000 1800 1700 1600 1500 1900 試料7_Date(1739,20) 68.3% probability 252 (31.0%) 290calAD 320 (37.3%) 361calAD 95.4% probability 247 (95.4%) 383calAD 200 250 Calibrated date (calAD) Radiocarbon determination (BP) 350 400 OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5 Atmospheric data from Reimer et al (2020) 試料SK784 _Date(376,19) 68.3% probability 1460 (50.7%) 1500calAD 1600 (17.6%) 1615calAD 95.4% probability 1454 (64.6%) 1521calAD 1579 (30.9%) 1624calAD 500 300 Calibrated date (calAD) OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Atmospheric data from Reimer et al (2020) 600 1900 Calibrated date (calAD) OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5; Post-bomb atmospheric NH2 curve (Hua et al 2021, Reimer et al 2020) 0 1800 試料1 試料2 400 試料3 試料7 300 試料SK784 200 1400 1450 1500 1550 1600 1650 calBC/AD 500 図7 1000 Calibrated date (calAD) Calibrated date (calAD) 各試料の暦年較正確率密度分布 - 68 - 1500 450

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1.ヒノキ(試料番号①) 図版1 1a 1b 2a 2b 2.アワブキ属(SK784)a:木口,b:柾目,c:板目 1c 2c 写真スケール:0.1㎜ 炭化材の電子顕微鏡写真 試料 1(2 区東西断割南壁中段盛土中部 2-2Mb 層の腐植質土壌盛土中の炭化材) 炭化材はヒノキに同定された。 C 年代値は 1630 ± 20yrBP、暦年較正年代は Intcal 較正曲線の 14 凹凸が著しい範囲にあたり絞り込むことが難しく、2 σで 403-538 cal AD と幅のある年代を示す。 試料 2(2 区東西断割南壁中段盛土 2-2Mb 層の腐植質土壌盛土中の炭化材) 炭化材はヒノキに同定された。 C 年代値は 1780 ± 20yrBP、暦年較正年代は Intcal 較正曲線の 14 凹凸が著しい範囲にあたり絞り込むことが難しく、2 σで 231-339 cal AD と幅のある年代を示す。 試料 3(2 区東西断割北壁中段盛土 2-2Mb 層の腐植質土壌盛土中の炭化材) 炭化材はヒノキに同定された。 C 年代値は 1700 ± 20yrBP、暦年較正年代は Intcal 較正曲線の 14 凹凸が著しい範囲にあたり絞り込むことが難しく、2 σで 258-414 cal AD と幅のある年代を示す。 試料 5(2 区東壁下段盛土 2-2Lb 層中の炭化材) C 年代値は 1630 ± 20yrBP を示す。暦年較正年代は 2 σで 403-538 cal AD と幅のある年代を示す。 14 試料 6(2 区東西断割トレンチ中段盛土 2-2Mb 層最下部、腐植質土壌偽礫盛土中) - 69 -

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C 年代値は 150 ± 20yrBP を示す。暦年 14 500 OxCal v4.4.4 Bronk Ramsey (2021); r:5 Atmospheric data from Reimer et al (2020) 較正年代は 2 σで 1668-1953 cal AD と幅の ←Intcal20較正曲線 ある年代を示す。 450 斜面肩部の土壌化層準 3 層) C 年代値は 1740 ± 20yrBP、暦年較正年 14 代は Intcal 較正曲線の凹凸が著しい範囲にあ たり絞り込むことが難しく、2 σで 247-383 Radiocarbon determination (BP) 試料 7(2 区南北断割東壁高位段丘被覆層: SK784 炭化材(376±19yrBP) 400 350 300 cal AD と幅のある年代を示す。 250 試料 SK784(2 区盛土 2-1 層上面の土師窯 遺構の供伴炭化材) 200 1400 炭 化 材 は ア ワ ブ キ 属 に 同 定 さ れ た。 C 1450 1500 1550 1600 Calibrated date (calAD) 1500 1600 14 1400 年 代 値 は 375 ± 20yrBP、 暦 年 較 正 年 代 は Intcal 較正曲線の凹凸が著しい範囲にあたり 絞り込むことが難しく、2 σで 1454-1624 cal AD と幅のある年代を示す。 室町時代 応仁の乱→ Ⅲ期 8 B A 平尾(2019)土器編年 図8 C A 10 B C A 1700 1700 安土桃山 Ⅳ期 9 B 1650 江戸時代 Ⅴ期 11 B C 12 A SK784出土土器→ 暦年較正結果と出土遺物の編年の比較 (4)考察 調査地北部の斜面地の盛土層のうち、腐植質土壌を材料とする盛土中から出土した炭化材(試 料 1 ~ 3)は、いずれも樹皮の無い破片で、全てヒノキに同定された。ヒノキは尾根筋等に生育 するほか、植栽・植林されることもある常緑高木で、その木材は木理が通直で割裂性および耐 水性が高く、日本の林業で最も重要な種類の一つとされる。これら炭片の C 年代値は、1630 ± 14 20yrBP ~ 1780 ± 20yrBP、暦年代で古墳時代前・中期を示した。また、斜面地肩部の高位段丘層 を被覆する腐植質土壌層中の炭片(試料 7)の年代値は、1740 ± 20yrBP を示し、暦年代で古墳 時代前・中期を示した。このように盛土材料として利用されている腐植質土壌と、段丘構成層を 被覆堆積物の腐植質土壌の炭片の年代値は、概ね一致しており、切土により生じた段丘構成層を 被覆する土壌化した堆積物が利用されていることが推定される。調査地は桃山古墳群に含まれれ る場所に位置しており、炭化材は当該期の人間活動に起因するものの可能性が高い。ただし、得 られた年代値は、年輪による古木効果を考慮する必要があり、下限年代として捉えておく必要が ある。 また、腐植質土壌を材料とする盛土中より出土した植物遺体(試料 5・6)の年代値は、 C 年代 14 値で 170 ± 20yrBP、150 ± 20yrBP、暦年代で 17 世紀後半~ 20 世紀前半を示し、盛土構築時期 である安土桃山時代より明らかに新しい年代を示した。盛土断面には盛土上位層準から連続する 根成孔隙が多数分布しており、試料は 17 世紀以降に上位層準から混入したものと推定される。 一方、安土桃山時代の遺構である SK784 土坑から出土した炭片は、樹皮の残る半径 3.5 ㎝ミカ ン割状を呈する材で、アワブキ属に同定された。アワブキ属には、水分条件の良い場所に生育す - 70 -

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る落葉高木のアワブキ、落葉低木のミヤマハハソ、常緑広葉樹林の林床・林縁に生育する常緑小 高木のヤマビワなどが含まれれる。いずれの木材も材質はやや重硬な部類に入り、燃料材として 優良とは言えない。遺構埋土の出土状況から、炭片は土器などともに土坑内に廃棄されたものと 考えられている。調査地一帯が城下町であり、必需物資としてアワブキ属なども燃料材として利 用されていた可能性が示唆される。炭片の C 年代値は 375 ± 20yrBP、暦年代は 15 世紀後半から 14 17 世紀初頭と幅のある年代を示した。樹皮が残存していたことから、枯死年代、すなわち利用年 代を示していると判断される。本遺構から出土した遺物は、平尾(2019)による京都の土師器編 年の 11A(西暦 1590 ~ 1620 年)に対比され、今回の暦年代範囲の後半に一致していることが認 識される。 4 斜面地の盛土堆積物に使用されている砂質堆積物の重軽鉱物組成 (1)試料 試料は、2 区南北断割東壁の斜面地の中段盛土堆積物 1 点(2-2mb 層:試料 8)である。試料の 外観は、黄褐色を呈するシルト混じりの中~粗粒砂である。 (2)分析方法 試料約 40g に水を加え超音波洗浄装置により分散、250 メッシュの分析篩を用いて水洗し、粒 径 1/16mm 以下の粒子を除去する。乾燥の後、篩別し、得られた粒径 1/4mm-1/8mm の砂分をポ リタングステン酸ナトリウム(比重約 2.96 に調整)により重液分離、重鉱物と軽鉱物を偏光顕微 鏡下にてそれぞれ 100 粒以上 250 粒に達するまで同定する。重鉱物同定の際、不透明な粒につい ては、斜め上方からの落射光下で黒色金属光沢を呈するもののみを「不透明鉱物」とする。「不透 明鉱物」以外の不透明粒および変質等で同定の不可能な粒子は「その他」とする。火山ガラスは 便宜上軽鉱物組成にいれ、その形態により、バブル型、中間型、軽石型に分類する。各型の形態は、 バブル型は薄手平板状、中間型は表面に気泡の少ない厚手平板状あるいは破砕片状などの塊状ガ ラスであり、軽石型は小気泡を非常に多く持った塊状および気泡の長く伸びた繊維束状のものと する。また、軽鉱物は石英と長石類とに分類し、さらに岩片や風化粒等は「その他」とする。 (3)結果 結果を表 2、図 9 に示す。重鉱物組成は、不透明鉱物がほとんどを占め、少量の角閃石と極めて 微量の斜方輝石およびジルコンが含まれる。軽鉱物組成では長石類がほとんどを占め、少量の石 英が含まれる。長石類の傾向としては、斜長石よりもカリ長石の方が多く含まれる。火山ガラス は認められなかった。また、軽鉱物中の「その他」とした粒の多くは、花崗岩類に由来すると考 えられる石英と長石類の鉱物片の複合した岩石片であった。なお、本分析では重鉱物においても 軽鉱物においても黒雲母を計数することはできなかった。ただし、篩別処理した砂粒の中には粗 粒の風化した黒雲母片や微細な黒雲母片を認めることができる。おそらく黒雲母については、処 理過程における損耗が激しいものと考えられるため、ここではその値を評価することはしない。 - 71 -

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表2 重軽鉱物分析結果 重鉱物 試料名 試料8 軽鉱物 カ ン ラ ン 石 斜 方 輝 石 単 斜 輝 石 角 閃 石 酸 化 角 閃 石 緑 レ ン 石 ジ ル コ ン 不 透 明 鉱 物 そ の 他 合 計 バ ブ ル 型 火 山 ガ ラ ス 中 間 型 火 山 ガ ラ ス 軽 石 型 火 山 ガ ラ ス 石 英 長 石 類 そ の 他 合 計 0 1 0 8 0 0 1 80 16 106 0 0 0 35 179 36 250 軽鉱物組成 その他 不透明鉱物 ジルコン 緑簾石 酸化角閃石 角閃石 単斜輝石 斜方輝石 カンラン石 その他 長石類 石英 軽石型火山ガラス 中間型火山ガラス バブル型火山ガラス 重鉱物組成 試料 8 0 50 100% 0 50 100% 図9 砂層の重軽鉱物組成 (4)考察 中段の盛土材料として使用されていた砂質堆積物は、分析結果から、その流域に花崗岩類を主 体とする地質分布を有する河川堆積物に由来することが推定される。 周辺の主要河川で流域に花崗岩類からなる地質の分布が広く認められる河川としては、木津川 がある。木津川流域の地質分布については、尾崎ほか(2000)などを参照することができる。木 津川上流域に相当する信楽山地南西部や大和高原北部には中生代白亜紀の領家花崗岩類が広く分 布する。そして領家花崗岩類には角閃石を含む花崗岩類のあることも記載されている。これらの ことから、試料は木津川水系の堆積物に由来する可能性が高い。 一方、周辺河川の一つである宇治川流域に分布する地質については、脇田ほか(2013)などに みることができる。その記載を参照すれば、宇治川水系の上流域に相当する瀬田川流域には、前 期更新世の砂礫層である草津層が分布し、その下流には主に黒雲母花崗岩からなる田上花崗岩体 が分布する。この田上花崗岩体は、瀬田川の支流である大戸川流域にも分布する。宇治川に入る とその流域の信楽山地には中生代ジュラ紀の堆積岩類からなる丹波帯が広く分布している。丹波 帯は、瀬田川の支流である信楽川や大石川の流域にも分布している。これらの地質分布からみると、 宇治川水系の堆積物を構成する砕屑物は、堆積岩類に由来する岩石片や鉱物片が主体を占めるこ とが推定される。また、宇治川流域に分布する花崗岩類である田上花崗岩体構成する岩石は、主 に黒雲母花崗岩であり、角閃石は含まれていない。これらのことから、試料は、宇治川水系の堆 積物に由来する可能性は低いと考えられる。 - 72 -

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以上のことから、斜面地の盛土堆積物に使用されている砂質堆積物は木津川水系の堆積物が使 用されていることになる。調査地が位置する高位段丘を構成する河川堆積物は花崗岩質であり、 切土により生じた堆積物が盛土材料として利用された可能性が十分考えられる。現時点では、高 位段丘構成層の由来については不明な点が多く、今後、鉱物組成などを明らかにすることで、盛 土材料の由来について再検証していく必要がある。 5 調査地の堆積物で確認された変形構造 調査地南部の高位段丘層の切土地では、現地調査を実施していないため特定できないが、断面 写真観察の結果、地震動に起因する可能性がある変形構造が確認された(図 6)。南壁断面西部の ひな壇状の切土部分では、切土斜面の延長線部分の段丘構成層の葉理構造がずれているようにみ える。上盤が下盤に対して相対的にずり下がった正断層の可能性がある。また、この段切り部の 斜面肩部の人為的擾乱土が脆性破壊し、切土斜面に崖錐状に崩積している。切土後の変形と判断 される。以上の変形構造が確認される位置は、中塚(本報告書、附章 2)の変動微地形 F3 の延長 部にあたる。 また、南壁では、上記地点よりさらに西側で、人為的に掘削・擾乱された凹部において、基盤 をなす段丘構成層の偽礫が水平方向のせん断応力により引きずり上げられているようにみえる範 囲がある。この範囲の段丘構成層の葉理構造も多少変形しているようにみえる。この変形の範囲は、 中塚(本報告書、附章 2)による変動微地形 F4 の位置にあたる。変形の時期は、凹地を充填する 腐植質土壌から 18 世紀後半の遺物が出土することから、段切後、18 世紀までの間の時期と推定さ れる。 調査地北部(2 区)の斜面地の盛土堆積物でも変形構造が確認される。先述したように斜面地の 傾斜層状盛土は 3 段階(下段:2-2L 層・中段:2-2M 層・上段:2-2U 層)に区分されるが、変形 構造は下段~中段の盛土で確認される。斜面地東部(2 区東壁南北断割)の傾斜層状盛土横断面 では、切土面と盛土の境界斜面、傾斜層状盛土の各単層斜面を滑り面として、滑動変形している 状況が確認される。断面北部に向けて、傾斜層状盛土単層の勾配が緩くなり、はらみ出しており、 変形以前は水平な平坦面であった可能性がある。盛土内部の脆弱面などを不連続面とする地すべ り的変形とみられ、砂質堆積物を材料として多用していることが関係していると推定される。また、 中段盛土(2-2Mb 層上部から 2-2Ma 層)上部では塑性変形と、2-2Ma 層下部の砂質盛土が液状化 し、上部の泥質砂盛土中に噴出している状況が確認される(図 6)。 一方、斜面地西部(2 区東西断割断面)でも、斜面地東部の中段盛土と連結する中段盛土におい て変形構造が確認される(図 4)。、中段盛土上部では、振動(押し引き)、回転、垂直振動の圧力 により著しく脆性破壊されている状況が確認された。特に東西方向の変形が顕著であった。また、 中段盛土垂直範囲全体の変形状況をみると、変形構造は 2-2M 盛土中部から上端までほぼ連続的で、 上方に向かって上記応力が増す傾向を示していた。 このように 2 区では斜面地の中段盛土堆積物において変形構造が確認された。新旧の堆積物が - 73 -

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同時に変形しており、上部に向かって変形が著しくなる傾向を示していることから、地震動に起 因する変形構造と推定される。一般に含水比が高い堆積物は地震応力で流動したり塑性変形を生 じ、相対的に含水比が低くせん断速度が速いときに脆性破壊がおこる。斜面地東部と西部の中段 盛土の変形構造の差異は、盛土材料の物性や含水比の違いに起因するものと推定される。地震イ ベントの年代は、変形ゾーン上端直上および直下の堆積物の年代によって決まる(Matsuda,2000) ことから、中段盛土(2-2M 層 ) 形成後、上段盛土(2-2U 層)形成以前と推定される。上段盛土が 安土桃山時代の屋敷地構築に伴う地業層であることを踏まえると、当該期の本地域において被害 を及ぼした、慶長伏見地震(1596 年 9 月 5 日:京都市防災会議 ,1996)に起因する変形と判断され る。また地震の発生時期には、桃山丘陵西麓斜面地の地業が進行していたことが推定される。 6 調査地の地業過程と斜面地盛土の特徴 調査地では、大名屋敷地造成に伴う地業として、南部(1 区)が高位段丘構成層・被覆層の段切 りによるひな壇状の平坦地造成、北部(2 区)が北東向き斜面地の切土・盛土によるひな壇状の平 坦地造成が行われている。ここでは、これら地業工程について述べる。調査地東壁の1区・2 区境 界付近の地業工程を模式図として図 10 に示す。 調査地南部(1 区)では、高位段丘層(4 層)とその被覆層(3 層)が段切りされ、ひな壇状の 平坦地造成が行われている。切土面直下の段丘堆積物では初生的な堆積構造が確認されるが、そ の保存状態が 1 区北端部で生物擾乱によりやや悪くなることから、切土以前の 1 区北端部が地表 に近い場所で、調査地北部の北東向き斜面に連続する斜面地であった可能性が高い。そうだとす ると相当量の堆積物が切土されていることになる。この段切り地業は、下記する調査地北部の切 土・盛土の第 2 段階以前にある程度実施されていた可能性が高い。 一方、調査地北部(2 区)の北東向きの斜面地の地業は、大きく 3 段階の施工に区分される。第 1 段階は、斜面上部の土壌生成が進行した段丘被覆層を覆う盛土の施工段階、第 2 段階は、第 1 段 階の盛土後に行われた、斜面地の大規模な掘削切土と、その掘削空間を充填する下段・中段の傾 斜層状盛土の形成段階、第 3 段階は慶長伏見地震後の上段の傾斜層状盛土と水平方向の層状盛土 段階である。各段階の詳細を以下に記す。 第 1 段階の地業は、第 2 段階の切土のため全容は不明であるが、斜面肩部付近の残存部分の堆 積状況から、斜面地の嵩上げを目的とする斜面上部側から下方側に積層させた盛土(2-3 層)と推 定される。盛土材料は腐植質土壌や段丘堆積物由来とみられる砂質泥~泥質砂などの泥質堆積物 が使用されている。斜面上方から投入した盛土材料を多少填圧し、緩い堆積斜面を形成しながら 連続的に積層させている。 第 2 段階の地業は大規模な造成で、第 1 段階の盛土を含む旧斜面地の切土と、その切土空間を 充填する下段・中段の傾斜層状盛土の形成段階である。第 1 段階の地業により、斜面地では土地 の嵩上げが行われていたことになるが、第 2 段階の地業で何ならかの理由で再度切土・盛土する 必要性が生じたことになる。この理由として、第 1 段階と第 2 段階の地業が同一の開発計画に基 - 74 -

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2区 1区 H=68.0m 断面写真 H=67.0m H=66.0m H=65.0m H=64.0m H=63.0m H=62.0m H=68.0m 1 2-2Ua H=67.0m 2-1 2-2Uc 現代。土壌化した 2-1 層の上位に現代の盛土が行われている (1 層 )。竹林となる。 4 H=66.0m 2-2Ub 2-2Ma H=65.0m 3 H=64.0m 2-3 2-2Mb 2-2Mc 2-2La 2-2Lb H=63.0m H=62.0m H=68.0m H=67.0m 2-2Ua 2-2Uc 2-1 4 H=66.0m 2-2Ub 2-2Ma H=65.0m 3 H=64.0m 2-3 2-2Mb 2-2Mc 2-2La 2-2Lb H=63.0m H=62.0m H=68.0m H=67.0m 地震前の 2-2Ma 面 ↓ 地震動により傾斜した盛土斜面地上に盛土が施工される(2-2U 層 )。盛土方法は、中段・下段の斜面地の盛土施工と同じであ るが、材料として使用されている堆積物は砂がちであることが 特徴である。盛土上面の平坦面上には、1区側の切土面と平坦 面を形成するまで水平方向の層状盛土が施工され、遺構が構築 されている(2-1 層 )。 4 H=66.0m 2-2Ma 2-3 H=65.0m 3 H=64.0m 2-2Mb 2-2Mc 2-2La 2-2Lb 中段の盛土施工後、地震動の影響を受け、平坦面が斜面下方に 傾斜。斜面に平行な層状盛土(2-2Mb)の脆弱部分が斜面下方 向に滑動しており、調査地北端の盛土法面ははらみ出している。 また、斜面層状盛土上部 1m の垂直範囲は地震動の押し引きに より生じた変形構造が確認される。調査地東壁では塑性変形し ており、2-2Ma 層下部の砂が液状化し、上位の泥質堆積物中に 噴出。 H=63.0m H=62.0m H=68.0m H=67.0m 斜面の層状盛土完了後、上面の平坦面に水平方向に偽礫混じり 砂など砂質堆積物を層状に盛土した後、その上位に泥質堆積物 を盛土し、填圧・延圧により締め固めている (2-2Ma) 。 H=66.0m 2-2Ma 2-3 H=65.0m 3 4 2-2Mb H=64.0m H=63.0m H=62.0m H=68.0m H=67.0m H=66.0m 2-3 H=65.0m 3 4 2-2Mb 小堤 ↓ H=64.0m 2-2Mc 2-2La 2-2Lb H=63.0m 斜面地の盛土は、大礫・巨礫サイズの偽礫を使用して、小堤を 構築後、切土斜面に平行に層状に盛土を行う。この施工を繰り 返することで、斜面上部に平坦面を構築している。 斜面に平行な盛土単層は、同質の材料を使用し、下位から崖錐 状に積み上げている。泥質堆積物を材料とする盛土単層は積み 上げ時に填圧されている。 小堤の役割は、盛土内に浸透した雨水などが法面側に配水さ れないための工夫の可能性もあるが、填圧されておらず、初生 堆積構造が残すことから、土留めの可能性が高い。 H=62.0m H=68.0m 切土→ 盛土 ↓ 切土→ 2-3 3 H=67.0m H=66.0m H=65.0m 4 1区側では、高位段丘層を切土し、平坦面を構築。 2区側の斜面地も 3 層上部以上が切土されている。切土面に泥 質砂を材料とする盛土 (2-3 層 ) が行われた後、大規模な切土 が行われる。切土高は 4m 以上(発掘調査底面で切土底面に到 達していない)。 切土された堆積物は、盛土材料として利用された可能性が高 い。 H=64.0m 切土→ H=63.0m H=62.0m H=68.0m H=67.0m H=66.0m H=65.0m 4 3 H=64.0m H=63.0m H=62.0m 図 10 調査地の地業過程 - 75 - 造成前の調査地は、高位段丘構成層 (4 層)と土壌化した泥質 砂の被覆層 (3 層 ) からなる斜面地。斜面の傾斜方向は北東向き。 当該期の調査地は、植生に覆われていた可能性がある。3 層土 壌の出土炭片の 14C 年代値は古墳時代を示す。

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づくものではなかった、水文条件を踏まえた土地造成地業が必要になった、調査地の開発計画が 変更になったなど、様々な可能性が考えられる。今後、考古学・文献史学的成果との複合的検討 が必要である。 斜面地の切土は、勾配がおおよそ 1 割 5 部勾配(傾斜角 35 度)で、切土高は 3m 以上である(切 土が発掘調査底面より下位まで伸びているため、切土底面付近の状況や正確な切土高は不明であ る)。現代の切土・盛土法面の一般的勾配は、1 割 5 部~1割 8 部勾配である。今回の勾配はその 範囲にある。切土された空間は、切土斜面から側方(旧斜面下方向)に付加するように、調査地 東部で 2 段(中段・下段)、西部で 1 段(東部の中段に連結する)の傾斜層状盛土が施工されている。 傾斜層状盛土の盛土高は、中段(2-2M 層)が約 2.5m、下段(2-2L 層)が 0.6m 以上である。 傾斜層状盛土の施工方法は、いずれの段も同様で、盛土実施面上に、大礫・巨礫サイズの偽礫 と砂を敷き、その上位に高さ 0.3 ~ 0.4m 程度の小堤を構築する(2-2Mc 層)。この小堤頂部と切 土面までの範囲に斜面勾配に平行な 0.1 ~ 0.4m 程度層厚の傾斜する層状盛土(2-2Ub・Mb・Lb 層)が行われる。このような小堤盛土と傾斜する層状盛土を、切土斜面外側方向に付加するよう に繰り返し行った後、その上面に、水平方向の層状に礫、砂、泥質砂偽礫などの粗粒な堆積物と 砂質泥などの泥質堆積物を締め固めながら盛土している(2-2Ma・La 層)。これらの工程が1段の 傾斜層状盛土の工程になり、小堤盛土は、上位の傾斜層状盛土(2-2Mb・Lc 層)単層の法尻補強 と、傾斜層状盛土の層厚を一定に保つこと、盛土下部の排水を考慮した工法であった可能性が示 唆される。また傾斜する層状盛土単層は、その構造から、斜面上方から盛土材料を繰り返し投入 し、積み上げられたもので、また外側斜面側から多少の締め固めが行われていることが確認される。 このことから、傾斜する層状盛土施工には、盛土斜面に平行な板状の型枠が利用されていた可能 性が推定される。また、傾斜する層状盛土の勾配を一定に保つために、現在の法面盛土で行われ ている盛土丁張のようなガイドが利用されていた可能性もある。 傾斜層状盛土材料には、高位段丘構成層や後背地に分布する大阪層群由来の褐色~赤褐色を呈 する泥質砂や砂・礫、段丘被覆層の腐植質土壌などが使用されており、粒径などを考慮した材料 の篩分・調整が示唆される。また、切土された段丘堆積物直上の傾斜層状盛土は、泥質堆積物を 多用している傾向がうかがえる。 本調査地周辺では、今回の調査地北西方向の京都市立呉竹総合支援学校整備工事に伴う伏見城 跡・福島太夫遺跡でも、斜面地において今回と同様の工程で構築された 1 段の盛土が確認されて いる(京都市埋蔵文化財研究所 ,2021)。このことは、傾斜層状盛土が城下町の区画整理に伴う斜 面地における普遍的な盛土施工方法であったことが示唆される。 第 3 段階の地業は、慶長伏見地震により滑動ないし脆性破壊した第 2 段階の盛土層上面を覆う、 調査地南部の段丘の段切り面と同レベルになるように行われた盛土である。本盛土は、下部が傾 斜層序盛土(2-2U 層)、上部が主に水平方向に層状に積層する盛土(2-1 層)からなる。これらの 盛土材料には、第 2 段階の中段・下段で確認された腐植質土壌はほとんど利用されておらず、主 に砂質堆積物が利用されていることが特徴である。下部の傾斜層状盛土は、基本的には第 2 段階 - 76 -

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の傾斜層状盛土と同様の施工方法が採用されているが、上面からみた層状盛土の配向性は第 2 段 階のように一定方向に付加していない。積層状況もぞんざいな部分が多く認められる。また、上 部の水平方向の層状盛土も一気に厚く埋立ている部分が認められる。調査地北西部の 2-1 層中には 間隙水排水のためとみられる、粒径の揃えた礫層を挟在する部分も確認されているが、第 3 段階 の地業は、比較的丁寧さに欠けており、急いで構築されているように思われる。木幡山の伏見城 再建に伴う城下町の整備も急速に進められたことを示唆している可能性がある。 今回調査地の北部斜面地の傾斜層状盛土は、谷埋め型盛土であるか腹付け型盛土であるかは、 調査地の北東側の盛土端部の状況が不明であるため特定できないものの、側方(斜面下方)に付 加するように施工されていることから腹付け型盛土の特徴を有している。一般に地震動などによ る斜面地盛土の崩壊は、1)法高が特に大きい場合、2)盛土が地山からの湧水の影響を受けやす い場合、3)盛土箇所の原地盤が不安定な場合、4)腹付け型盛土となる場合、に起こりやすい。 今回調査地の第 2 段階の斜面地盛土も法高が高く、腹付け型盛土の特徴を有しているなど、地震 の影響を受けやすかったことが示唆される。 また、盛土などの土構造物では、雨水や地下水などの水処理の良し悪しが強度に関係し、盛土 内の間隙水の排水が重要となる(鈴木 ,2011)。上記した伏見城跡・福島太夫遺跡の傾斜層状盛土 の基底面には、低い段切りと排水溝が構築されており盛土中の間隙水の排水を考慮し、盛土強度 を増す工夫が確認されている(京都市埋蔵文化財研究所 ,2021)。時代は異なるが 1478 年に構築さ れた山科本願寺跡の土塁の基底にも、間隙水の排水のための石組み暗渠が確認されている(京都 市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館 ,1998)。今回の調査地では、調査深度の関係で盛土基底 面の状況が十分確認されていないが、調査地西部の東西立割では段切りの可能性がある階段状の 掘削痕が確認されているなど、何らかの工夫が行われていた可能性がある。また、傾斜層状盛土 の場合、間隙水はその法尻部分である小堤盛土に集まり、間隙の多い小堤状盛土を通過した間隙 水が直下の基盤層ないし締固め層の境界を通じて外部に排水されることが想定される。地震によ る変形が斜面地東部と西部で多少異なっていたが、盛土材料の違いのほか、2 段と 1 段の傾斜層状 盛土では間隙水のあり方が異なり、1 段の場合は基盤層との境界部分から排水されるのに対して、 2 段の場合は下位段の盛土上部の締固め層準が不透水層となり、上位の盛土中の間隙水が排水され にくい状況におかれていた可能性がある。そうだとすると、城下町の斜面地盛土として普遍的に 確認される傾斜層状盛土は、1段の場合と複数段の場合で土構造物としての強度が異なり、後者 の方が脆弱であったことになる。 参考文献 Bronk Ramsey, C.(2009)Bayesian Analysis of Radiocarbon dates. Radiocarbon, 51(1), 337-360. Hua, Q., Turnbull, J., Santos, G., Rakowski, A., Ancapichún, S., De Pol-Holz, Hammer, S., Lehman, S., Levin, I., Miller, J., Palmer, J., Turney, C.(2021)Atmospheric Radiocarbon for the Period 1950-2019. Radiocarbon, 64 (4), 723-745. doi:10.1017/RDC.2021.95. https://doi.org/10.1017/RDC.2021.95(cited 23 November 2021) 平尾政幸(2019)土師器再考 . 「洛史 研究紀要第 12 号」公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所 ,9-56 - 77 -

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京都市防災会議(1996)京都と周辺地域の地震活動の特性 京都と周辺地域の有感地震データーベース(解 説). 尾池和夫監修,81p. 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館 (1998) 「山科本願寺の発掘調査」, 発掘ニュース 30, リーフレッ ト京都 No.114 公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所(2021) 「伏見城跡・福島太夫遺跡」. 公益京都市埋蔵文化財研究所 発掘調査報告 2021 - 5, 中村俊夫(2000)放射性炭素年代測定法の基礎.日本先史時代の C 年代編集委員会編「日本先史時代の C 14 14 年代」:3-20,日本第四紀学会. 増田富士夫・伊勢屋ふじ子(1985)”逆グレーディング構造” :自然堤防帯における氾濫洪水堆積物の示相堆 積構造.堆積学研究会会誌,22・23,p.108-116. Matsuda,J.-I(2000)Seismic deformation structures of the post-2300 a BP muddy sediments in Kawachi lowland plain,Osaka,japan,Sedimentary Geology,135,99-116. 尾崎正紀・寒川 旭・宮崎一博・西岡芳晴・宮地良典・竹内圭史・田口雄作(2000)奈良地域の地質 . 地域 地質研究報告(5 万分の 1 図幅), 地質調査所 ,162p. Reimer, P.J., Austin, W.E.N., Bard, E., Bayliss, A., Blackwell, P.G., Bronk Ramsey, C., Butzin, M., Cheng, H., Edwards, R.L., Friedrich, M., Grootes, P.M., Guilderson, T.P., Hajdas, I., Heaton, T.J., Hogg, A.G., Hughen, K.A., Kromer, B., Manning, S.W., Muscheler, R., Palmer, J.G., Pearson, C., van der Plicht, J., Reimer, R.W., Richards, D.A., Scott, E.M., Southon, J.R., Turney, C.S.M., Wacker, L., Adolphi, F., Büntgen, U., Capano, M., Fahrni, S.M., Fogtmann-Schulz, A., Friedrich, R., Köhler, P., Kudsk, S., Miyake, F., Olsen, J., Reinig, F., Sakamoto, M., Sookdeo, A. and Talamo, S.(2020)The IntCal20 Northern Hemisphere radiocarbon age calibration curve (0-55 cal kBP). Radiocarbon, 62(4), 725-757, doi:10.1017/RDC.2020.41. https://doi.org/10.1017/RDC.2020.41 (cited 12 August 2020) 鈴木正司(2011)若年技術者のための基礎知識 - 土木編・盛土編 .DOBOKU 技師会東京 , 東京土木施工管理技 士会 , 第 51 号 14-21 鈴木正司(2012)若年技術者のための基礎知識 - 切土編 .DOBOKU 技師会東京 , 東京土木施工管理技士会 , 第 52 号 24-32 脇田浩二・竹内圭史・水野清秀・小松原 琢・中野聰史・竹村恵二・田口雄作(2013)京都東南部地域の地質 . 地 域地質研究報告(5 万分の 1 図幅), 産総研地質調査総合センター ,124p. 宇佐見龍夫 (1987) 新編日本被害地震総覧 , 東京大学出版会 ,493p. Wentworth,C.K.(1922)A scale of grade and class terms for clasticsediments. J.Geol,30,377-392. - 78 -

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文化財サービス発掘調査報告書 第 24 集 伏見城跡発掘調査報告書 2023 株式会社 文化財サービス

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例 1 言 本書は、京都市伏見区桃山町島津 76、51 -2、53 -4、54 -4、55 -1で実施した、伏見 城跡の発掘調査成果報告書である。(京都市番号 22F219) 2 調査は、株式会社アールライフ(代表取締役 3 現地調査は、株式会社アクセス都市設計より株式会社文化財サービス(以下、「文化財サー ビス」という)に委託され、大西晃靖、菅田 皇甫 樹)による宅地開発に伴い実施した。 薫、早見由槻(令和5年3月 31 日まで)、 和氣清章(令和5年4月1日以降)(文化財サービス)が担当した。 4 調査期間は令和4年 11 月 24 日~令和5年6月 12 日である。 5 調査面積は 2,892.1 ㎡である。 6 本文・図中の方位・座標は世界測地系による。標高はT . P .(東京湾平均海面高度)である。 7 土層名および出土遺物の色調は、農林水産省水産技術会議事務局監修『新版標準土色帖』に 準じた。 8 本書の執筆は大西、和氣が行い、担当は文末に記した。編集は大西、和氣、中西佳奈江、 吉川絵里(文化財サービス)が行った。 9 現地での記録写真撮影は大西、菅田、早見、和氣が行い、出土遺物の撮影は写房楠華堂 (内田真紀子氏)に依頼した。 10 現地での重機掘削は株式会社一誠建設に依頼した。 11 調査に係る資機材のリースおよび仮設工事は株式会社 Soid に依頼した。 12 調査に係る資料は京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課(以下、「文化財保護 課」という)が保管している。 13 発掘調査および整理作業の参加者は、下記の通りである。 〔発掘調査〕 田中慎一、小林一浩、上田智也、清須慶太、吉岡創平、中 優作(以上、 文化財サービス)、作業員(株式会社京カンリ) 〔整理作業〕 田邉貴教、望月麻佑、多賀摩耶、森下直子、中 優作、野地ますみ、 神野いくみ、上野恵己、内牧明彦、甲田春奈、後藤佳菜、下市沙耶香、 鈴村 巴、西尾知子、溝川珠樹、若山美帆(以上、文化財サービス) 14 自然科学分析については、株式会社古生態研究所(辻本裕也氏)、中塚 良氏 (公益財団法人向日市埋蔵文化財センター)に依頼し、附章にまとめた。 15 出土遺物の年代観は、平尾政幸 「土師器再考」『洛史 都市埋蔵文化財研究所 研究紀要 第 12 号』公益財団法人京 2019 年 中世土器研究会 「新版 概説 中世の土器・陶磁器」真陽社 2022 年 に依った。

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16 現地調査、整理作業において、下記の方から御教示をいただいた。記して感謝いたします。 (敬称略) 山田邦和(同志社女子大学) 、森島康雄(公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター) 、 鈴木久男(京都産業大学)、南 孝雄・柏田有香・松吉祐希・三好孝一・中谷俊哉・ 渡邊都季哉(公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所)、奥井智子・鈴木久史 (京都市文化財保護課)、魚島純一(奈良大学)

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目 第Ⅰ章 次 調査の経緯 1 調査に至る経緯…………………………………………………………………………………… 1 2 調査の経過………………………………………………………………………………………… 1 3 測量基準点の設置と地区割り…………………………………………………………………… 3 4 整理作業・報告書作成…………………………………………………………………………… 4 第Ⅱ章 位置と環境 1 位置と環境………………………………………………………………………………………… 5 2 歴史的環境………………………………………………………………………………………… 5 3 既往の調査………………………………………………………………………………………… 8 第Ⅲ章 調査成果 1 基本層序…………………………………………………………………………………………… 13 2 検出遺構…………………………………………………………………………………………… 13 (1)郭の構成 ……………………………………………………………………………………… 13 (2)伏見城期の遺構 ……………………………………………………………………………… 17 (3)廃城後の遺構 ………………………………………………………………………………… 26 3 出土遺物…………………………………………………………………………………………… 33 (1)土器・陶磁器類 ……………………………………………………………………………… 34 (2)瓦類 …………………………………………………………………………………………… 39 (3)金属製品 ……………………………………………………………………………………… 40 (4)石製品 ………………………………………………………………………………………… 40 第Ⅳ章 まとめ 1 遺跡の変遷………………………………………………………………………………………… 43 2 屋敷地の復元……………………………………………………………………………………… 47 3 伏見城下町の都市計画…………………………………………………………………………… 49 (1)はじめに ……………………………………………………………………………………… 49 (2)伏見城下町の造営 …………………………………………………………………………… 49 (3)伏見城下町の都市計画 ……………………………………………………………………… 51 (4)成果と課題 …………………………………………………………………………………… 52 附章 1 伏見城跡の盛土堆積物に関する検討………………………………………………………… 58 2 木幡山伏見城周辺地域の地形面区分・変動地形条件と人間活動………………………… 79

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報告書抄録 ふりがな 書 名 シリーズ名 シリーズ番号 ふしみじょうあとはっくつちょうさほうこくしょ 伏見城跡発掘調査報告書 文化財サービス発掘調査報告書 第 24 集 編著者名 大西晃靖 和氣清章 辻本裕也 中塚 良 中西佳奈江 吉川絵里 編集機関 株式会社 文化財サービス 所在地 〒 601−8127 京都市南区上鳥羽北花名町8番地 発行所 株式会社 文化財サービス 発行年月日 所収遺跡名 2023 年 12 月 28 日 所 在 地 コード 市町村 遺跡番号 北緯 東経 調査期間 調査面積 調査原因 2,892.1 ㎡ 宅地開発 きょうよふきょうとし 京都府京都市 ふしみくももやまちょう 伏見区桃山町 ふしみじょうあと 伏見城跡 しまづ 島津 76 26100 51−2、53−4 1172 34 度 56 分 17 秒 135 度 46 分 20 秒 2022 年 11 月 24 日 〜 2023 年 6月 12 日 54−4、55−1 所収遺跡名 伏見城跡 種別 平城跡 主な時代 主な遺構 主な遺物 特記事項 ・本調査地は、伏見 城跡の島津以久(嶋 伏見城以前 土師器、須恵器 津右馬頭)屋敷推定 地である。屋敷地は 木幡山西麓に位置 し、屋敷地内には西 土師器、青磁、白磁、 下がりのひな壇が造 施釉陶器、焼締陶器、 成されている事を確 認した。さらに、各 塀、掘立柱建物、 瓦質土器、軒丸瓦、 ひな壇では、小段や 伏見城期 柱列、柱穴、土坑、 軒平瓦、道具瓦、 柱列などにより複数 金箔瓦、丸瓦、平瓦、 の郭が構成されてい 造成盛土 ることを確認した。 石製品、金属製品 ・調査区北半では伏 見城造成以前は北西 方向に延びる谷が存 在し、造成に伴い谷 土師器、白磁、染付、 を埋めひな壇を構築 するために大規模な 施釉陶器、焼締陶器、 造成を行っている事 江戸時代後半 溝群、土坑 瓦質土器、土製品、 が判明した。 銭貨