スタンリー・キャヴェルの「知ること」と「認証すること」

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August 14, 26

スライド概要

哲学者スタンリー・キャヴェルの論文「Knowing and Acknowledging」の要約資料です。

「知っている」ことと「認証する(acknowledge)」ことは別の行為である、というのが中心的な主張です。相手の苦しみを知っているだけでは足りず、それに応えて外に示すことで、はじめて認証は成り立ちます。他者の痛みの同一性をめぐるMalcolmらとの論争、待ち合わせの遅刻という具体例、知っていながら示さないでいることは拒絶とは違う、というCavellの結びの一文などを紹介しています。後半では、この論点を対人支援の場面に具体化して検討しています。

Cavell, S. (1969). Knowing and acknowledging. In Must We Mean What We Say? A Book of Essays (pp. 238–266). New York: Charles Scribner's Sons.(のちCambridge University Pressより改訂版として再刊、2002年)

本スライドの要約は Claude AI(Anthropic)により作成されました。

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ナラティヴ実践協働研究センター(NPACC)は、心理カウンセリング手法の一つである「ナラティヴ・セラピー」の日本における専門拠点です。カウンセリングの提供や、初学者から専門家向けのワークショップ・トレーニングコースの運営、研究活動を行っています。

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各ページのテキスト
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READING NOTE Knowing and Acknowledging Stanley Cavell(スタンリー・キャヴェル) の「知ること」と「認証すること」 対人支援における「認証」概念の哲学的背景 読解ノート・Claude AI(Anthropic)による要約作成 1

2.

論文要約 この論文について 出典:Stanley Cavell, "Knowing and Acknowledging"(Must We Mean What We Say? 所収) テーマ:他我問題(他者の心をどう知りうるか)をめぐる懐疑論との対話 対人支援における「認証(Acknowledge)」という言葉の、哲学的な源流の一つ 2

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論文要約 論文の出発点 「日常言語に訴えれば、懐疑論はすぐに退けられる」という、当時よくあった前提を 疑うところから始まる 懐疑論者は、日常の語法を知らないのではない 彼は語法を熟知したうえで、なお懐疑を語っている だから、「言葉の誤用」として片づけることはできない → 懐疑論者を、まず真剣に受け止める。それが出発点。 補足 懐疑論者(skeptic)とは:ここでは、「他者の心の中で本当は何が起きているか、私 たちは原理的に知ることができない」と主張する哲学的立場をとる者を指す。「あの 人は本当に痛みを感じているのか」を、確実な形では決して確かめられない、という 考え方。 3

4.

論文要約 MalcolmとCookへの応答(1) 「同じ痛み」は可能か Malcolm:痛みも色と同じように記述によって同一性が決まる対象だと考えれば、二 人が「同じ痛み」を持つことは論理的に可能 Cavellの反論:痛みは、色よりもむしろ自動車のような、個体として数えられる対象 に近い 同じ型式・同じ色の車が二台あっても、「私の車」と「あなたの車」は別々に存 在する 痛みも同様に、記述として同一でも「私の痛み」と「あなたの痛み」は、なお別 のものとして残る → この「なお残る違い」こそ、懐疑論者が指し示そうとしていたもの 4

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論文要約 MalcolmとCookへの応答(2) First と Second の思考実験 懐疑論者の望みを、いっそ文字通り叶えてみたら? 二人(First・Second)が数において同一の、まったく同じ痛みを共有できたとしたら—— Firstの側から:Secondの痛みは、自分の痛みを手がかりにした「推論」になる → 知的すぎて、当人性から遠い Secondの側から:Firstの痛みを直接感じ取れるとしても → 直接的すぎるあまり、Firstのものであるという他者性が消えてしまう → 「同じ痛みを持つ」ことが叶ったとしても、他者を他者として知るという問題は解消し ない 5

6.

論文要約 一人称と三人称の非対称 「私は自分が痛いと知っている」 → 知識の表明というよりも痛みそのものの表出(苦痛・苛立ちの表現)であること が多い 「彼が痛いと私は知っている」 → 性質はまったく異なる。ここでは相手の苦しみが、こちらに向けて何かを要求し ている状況への応答を意味する この非対称性が、次の中心的な主張への布石になる。 6

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論文要約 キャヴェルの中心的な主張 認証は、知ることを超える 相手が苦しんでいるという事実そのものが、こちらに向かって「何かをしろ」と迫ってく る。 知っているだけなら、黙って立ち去ることもできる。しかし、目の前で誰かが泣いていた ら、私たちは「知る」だけでは済まない感覚を持つ。何か言わなければ、何か表情に出さ なければ、という圧力のようなものを感じる。 この要求に応えること——実際に引き受けて、何らかの形で外に表すこと。Cavellは、これ を acknowledge(認証する)と呼ぶ。 知っているという事実の外側に、応えるか応えないかという、まったく別の分かれ道があ る。 7

8.

論文要約 知ることと認証することの非対称性 私が「自分は遅刻したことを認めている」と言うなら、 そこから「自分は遅刻したと知っている」ことが導かれる。 しかし逆は成り立たない。 知っていながら、認めない——ということが、人間関係のなかでは日常的に起こりうる もし逆が常に成り立つなら、人と人との関係のあり方は、今あるものとはまったく違 ったものになるだろう 知る ⊂ 認証する、ではなく 認証する ⊃ 知る、でもない。認証は知の先にある別の行 為。 8

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論文を踏まえての検討 具体化してみると——待ち合わせの遅刻 Cavellの一行の指摘("I know I am late" = 認める)を、場面として広げてみる 待ち合わせに、私が遅れて到着する 相手は、先に着いて待っている 私が「遅れてすみません」と言えば——私が遅れていると知っていることは明らか → 認めるからには、知っているはずだから しかし、知っているからといって、認めるとは限らない 素知らぬ顔で席につくこともできる 別の話題から切り出すこともできる → 知っていることと、それを相手に向けて口に出すことのあいだには、越えなければなら ない一歩がある 9

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論文を踏まえての検討 逆の場合——気づいているのが「相手」のことなら ここまでの例で、知っていたのは自分自身のことだった しかし、ここで考えたいのは、その逆の場合である 気づいているのは相手のことである あの人は疲れている。あの人は何か言いたそうにしている。 ここでも、まったく同じ隔たりが現れる。ただし—— → こちらの場合のほうが、隔たりはずっと大きい 自分のことなら、「言わなければ相手に分からない」と自覚できる 相手のことだと、示さないでいても**「何かをしそこねた」という感覚すら残らない **ことがある 10

11.

論文要約 Cavellの結び あなたが痛んでいると知るとは、それを認証することか、認証を示さないでおくこと かの、どちらかである(Cavell, 1969) この一文を、要約するとこうなる 認証されないことの反対は、拒絶ではない。 示さないでいることである。 11

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論文を踏まえての検討 「示さないでいること」は見えにくい 拒絶であれば、何が起きたのかははっきりしている しかし——示さないでいることには、形がない 何も起きていないように見える → 受けた側は、自分が「気にしすぎ」なのだと考えるほかなくなってしまう 補足 プロローグの、朝のすれ違いの場面を思い出したい。会釈が返ってこなかったとき、 起きていたのは拒絶ではなかった。ただ、気づいていながら示さなかった、あるいは 気づかないでいることを選んだ——その、形のない出来事である。 12

13.

論文を踏まえての検討 心のなかの信念ではない 認証は心のなかの信念ではない 相手を大切に思っていること と それを相手が受け取れる形で示していること は別のこと 認証は態度として、振る舞いとして、外に現れなければ成り立たない 「そんなつもりはなかった」という言葉が、しばしば相手を救わないのは、このため → つもりの話をしているのではない 13

14.

論文要約 認証は、失敗によっても証される 共感は、常に伴うとは限らない 相手の要求に、実際には何も応えないこともある。無関心、時には Schadenfreude (他者の不幸を喜ぶ気持ち)すら起こりうる しかし—— 「認証」という概念は、成功した場合だけでなく、失敗した場合によっても、同じだ けの重みで証される 認証に失敗したからといって、「相手の苦しみを知らなかった」ことにはならない → 知っていながら、認証しない、ということが十分にありうる Cavellはこれを、特定の反応の記述ではなく、 反応を評価するための一つの範疇(ハイデガーの言う "existentiale")として位置づける 14

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補足:前頁「existentiale」について existentiale(実存範疇):ハイデガーが用いた概念で、人間という存在のあり方そ のものに、あらかじめ組み込まれている構造のこと 「今日は疲れている」のような、その都度変わる個別の状態(Zustand)とは違う いつでも、その形をとりうる可能性そのものを指す Cavellがこの語を持ち出す理由 「認証」は、"優しい人だから認証できた/できなかった"という個人の性格の記述で はない 人が他者と関わるときには常にすでに開かれている選択肢(認証する/しない)その ものを指している だからこそ、認証の失敗も、成功と同じだけの重みで、この構造を証すことになる 15

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論文要約 「知っている」に隠れたもう一つの用法 Malcolm:「私は自分が痛いと知っている」は無意味な文だ →「知っている」の3つの通常の働き(根拠・権威・特権的立場の主張)を果たしていな いから Cavellの応答:「知っている」には、もっと働きがある 1. "I know New York" = 知り合いである、心得ている 2. "I know I am a nuisance" / "I know I am late" = 認める、白状する、認証する(acknowledge) 3. 相手の発言に同意・確認する用法 → 英語という言語そのものの内部に、すでに「認める」の意味で機能する "know" の用法が埋め込まれている 16

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論文要約 論文の要旨 懐疑論者は、日常語を誤用しているのではない。だから、まず真剣に受け止めるとこ ろから始まる 痛みは、記述によって同一性が決まる対象ではなく個体として数えられる対象に近い 知ることと、認証することは、別の行為である。知っていながら認証しない、という ことが起こりうる 認証は外に現れなければ成り立たない。心のなかで知っているだけでは足りない 認証は成功した場合だけでなく失敗した場合によっても、同じ重みで証される概念で ある 英語の "know" という語には、すでに「認める」という働きが埋め込まれている → 知ることと認証することを分けて考える。この一点が、論文全体を貫いている 17

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ご清聴ありがとうございました SOURCE Stanley Cavell, "Knowing and Acknowledging," in Must We Mean What We Say? NOTE 本スライドの要約は Claude AI(Anthropic)により作成されました。 18