パソコン通信むかしばなし

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October 31, 23

スライド概要

吉祥寺.pm34【オンライン】 2023/10/31

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Qiita や Zenn でいろいろ書いてます。 https://qiita.com/hmatsu47 https://zenn.dev/hmatsu47 MySQL 8.0 の薄い本 : https://github.com/hmatsu47/mysql80_no_usui_hon Aurora MySQL v1 → v3 移行計画 : https://zenn.dev/hmatsu47/books/aurora-mysql3-plan-book

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各ページのテキスト
1.

パソコン通信むかしばなし 吉祥寺.pm34【オンライン】 2023/10/31 まつひさ(hmatsu47)

2.

自己紹介 松久裕保(@hmatsu47) ● https://qiita.com/hmatsu47 ● 現在のステータス: ○ 名古屋で Web インフラのお守り係をしています ○ 現在は自社サービスのセキュリティ強化中 ○ そしてなぜかフロントエンド刷新に取り組み中 ○ 各地のオフラインイベントに出没中 ■ 盛岡(8 月)→松山(9 月)→福岡(10 月)→次は札幌(11 月)の予定 2

3.

おことわり ● 内容は間違っている可能性があります ○ おぼろげな記憶をもとに書いています ■ 1 〜 2 年くらいずれている可能性も ● 何かの役に立つ話ではありません ○ 適当に聞き流してください 3

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前回(吉祥寺.pm33)での LT 登壇 ● 「1 分間」 ○ スライド 3 ページ目「原点」 4

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原点 ● 富士通 FM-7 購入(1983 年) ○ プログラミングの原点 ● オムロン MD1200E 購入(1988 年) ○ ネットワーク・通信の原点 ● 1分間(2016 年) ○ ??? 5

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原点 ● 富士通 FM-7 購入(1983 年) ○ プログラミングの原点 ● オムロン MD1200E 購入(1988 年) ←これ ○ ネットワーク・通信の原点 ● 1分間(2016 年) ○ ??? 6

7.

前年(1987 年) ● 旺文社「中学生パソコンソフトウェアコンテスト」入賞 ○ 富士通 FM77AV20EX(8 ビットのパソコン)獲得 出典:https://fm-7.com/museum/products/pd64siau/ 7

8.

ほかにも ● この年は雑誌に 2 回ほど投稿記事が掲載 ○ 原稿料の一部でオムロン MD1200E(1200bps のモデム)を購入 出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b1077936232 8

9.

結果(1988 年) ● シリアル(通信)ポート付きのパソコンとモデムを入手 ○ パソコン通信デビュー 9

10.

シリアルポート:いわゆる RS232C 準拠ポート ● 「Recomended Standard 232 Class」の略らしい または Version C ○ 規格としては EIA(米国電子工業会)が定めた EIA-232 ○ 全二重の同期通信+調歩同期(非同期)通信 2 チャンネル ○ D-sub 25 ピン端子 ○ 通信速度は 19200bps まで ■ 現在の 10Gbps Ethernet の 50 万分の 1 以下 ■ 購入したモデムの通信速度:1200bps なので 800 万分の 1 以下 10

11.

準拠? ● 実は、いろいろ違うところがあった ○ 対応する同期方式だったりチャンネル数だったり ■ 全二重の調歩同期(非同期)通信 1 チャンネルのみサポート ○ 最大伝送速度だったりポート形状だったり ■ USB に置き換わる頃には 230400bps(or 460800bps 以上)まで対応 ■ 当初は D-sub 25 ピン端子→後々 9 ピン端子が一般化し EIA-574 規格に 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/D-subminiature 11

12.

モデム:通信機器の一種 ● MOdulator DEModulator の略 ○ デジタル→アナログ/アナログ→デジタルに信号を変換 ○ (主に)アナログ電話回線用と xDSL 用がある ■ 今回の話は前者 ○ (前者は)ITU-T(当時は CCITT)V シリーズ勧告で標準化 ■ 例:1200bps 全二重通信は V.22、2400bps 全二重通信は V.22bis ■ 制御コマンドとして V.25bis があったが、ヘイズ AT コマンドがデファクト スタンダードだったので、民生用モデムではあまり流行らず 12

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民生用モデム登場の背景 ● 1985 年の通信自由化 ○ 電電公社(当時)が民営化→ NTT(日本電信電話)へ ○ 加入電話回線に接続する端末が自由化 ■ それ以前の電話機は宅内のモジュラーローゼットでネジ止め ■ 自由化によりモジュラージャック(RJ-11)での繋ぎ換えが可能に ■ 電話機のバリエーションも一気に増えた(色・形・留守電機能など) 13

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パソコン通信デビュー当初 ● 電話代(通話料金)が高額だった時代 ○ 単位料金区域(MA)内で 3 分 10 円、隣接区域 90 秒 10 円 ■ 住んでいる区域が名古屋(052)の隣接 MA だったので市内の倍の料金 ■ 遠距離はさらに高額→休日または夜間・深夜割引料金時間帯に通信していた ■ 通信自由化を機に新電電が参入(長距離通話は NTT よりも割安に) ○ 商用(有料)のサービスも存在したが… ■ PC-VAN(NEC)・Nifty-Serve(日商岩井と富士通の合弁)など ■ 中高生の小遣いでは有料サービスの利用は難しかった 14

15.

このあたりの時代背景を知るには ● 日本ネット前史(1984 年〜ニフティサーブ誕生) ○ 小口覺さんの note 記事 ■ https://note.com/oguyan/n/n2cd30e60c9ce ○ オリジナルは小学館より発行された 「パソコン通信開拓者伝説」(1998) ■ さらに元をたどると DIME 誌の連載記事 15

16.

「第5章 試行錯誤の通信システム」後半あたり ● 名古屋の事情が紹介されている ○ 文中の北川さんと面識があり、DAGA-YER-NET も利用していた 「『CITY‐NET』というBBSが東京と名古屋にあったのですが、これらにアクセスできる端末を置いていた のが東京・渋谷の『シティロード』と名古屋・八事の『HISHA』です。オーナーは新しいもの好きな方でとも にDJのいるおしゃれな雰囲気の店でした。DJの女の子がBBSに書き込んでアクセスを増やすといったことも やっていましたね」 店の企画に携わったメディアプランナーの北川喜英(取材時、エイプリル・コミュニケイションズ社長)の説明 である。 そしてパソコン通信とラジオ放送のメディアミックスの“はしり”もこの北川の手によるものだ。 1986年に始まったCBCラジオの『つボイノリオのおしゃべりキーボード』という番組のために開設された BBSの名は「DAGA‐YER‐NET(ダガヤーネット)」という。名古屋弁の「~だがや」からつけられたのは いうまでもない。 16

17.

コミュニケーション方法 ● 掲示板(BBS)とチャットが主体 ○ 初期の頃は半角文字(英数字・記号+カナ)のみで分かち書き ■ 例:「キョウ ハ イイ テンキ デスネ」 ○ 掲示板はオートパイロットで未読を自動巡回 ○ チャットはリアルタイムの会話用 ■ 基本的に過去の会話履歴は残らない ■ 履歴を残したい会話は掲示板(BBS)へ ■ クローズドな内容はメールボックス(1 対 1)か CUG・PUG へ 17

18.

オフ会(オフライン会)も ● 割と盛んに行われていた ○ 身の周りではボーリング大会が多かった ○ 身近にテニス好きが多かったのでテニスオフ会も何度か開催 ■ 静岡県の浜松周辺へもよく出かけて行った ■ 静岡県の人たちと合流して沼津へゴルフの打ちっぱなしに行ったことも 18

19.

1 ユーザーとしての活動だけでは飽き足らず ● 草の根 BBS 開局 ○ 電話を使わない深夜時間帯だけの開局 ■ 割とよくあったパターン ○ FM-7 用のフリーな BBS ソフトウェアを使用 ■ パソコン通信上で流通していたものを知人から譲り受けた ■ すべて BASIC(インタプリタ言語)で記述されていた ○ 当時は 1200bps で通信していたのでそれで十分だった 19

20.

約 2 年後(1990 年頃) ● モデムを買い替えた ○ オムロン MD24FS5:2400bps MNP クラス 5 対応 ■ 誤り訂正機能 ■ データ圧縮機能:最大 200% → 4800bps 相当 ○ オール BASIC の BBS ソフトウェアでは厳しくなった ■ 誤り訂正機能によってモデム〜モデム間の文字化け・文字落ちはなくなった ■ 一方、高速化によってモデム〜パソコン間で文字落ちするようになった 20

21.

BBS ソフトウェアをリニューアル ● 自作に切り替え ○ 骨格は BASIC ○ 通信制御とその周辺部分のみアセンブリ言語で書き換え ○ 日本語対応強化 ○ ファイル転送対応(XMODEM) ○ ついでにゲームを実装 ○ おまけとしてチャットに人工無能を追加 21

22.

草の根 BBS 運用での困りごと ● 着信がうまく行かないケースがまれによくあった ○ 信号送出レベルの手動調整が必要 ■ デフォルト(概ね -15dBm)では信号が弱すぎる・ノイズに負けるケースが まあまあ発生していた ● 工事担任者資格を取得 ○ 信号送出レベルの手動調整が可能に ■ なぜか就職後にもこの資格が生きることに 22

23.

さらにリニューアル(1994 〜 1996 年頃) ● FM-TOWNS Ⅱ MX170W を購入 ● 回線を ISDN(INS ネット 64)に変更 ○ TA(ターミナルアダプタ)購入 ○ 同時 2 チャンネルの通信が可能に ● 再びフリーの BBS ソフトウェアへ ○ スペック的には以前よりはるかに向上したが… 23

24.

インターネットが普及し始めて(1990 年代後半) ● 当時はモデムや ISDN TA を使ったダイヤルアップ接続 ○ 以前と比べると通話料も安くなった ■ 割引サービスも ● 時代は CUI/CLI から GUI へ ○ Mac のほか Windows も 3.1 あたりで徐々に使い物になるように ○ Windows 95 で GUI への流れが加速 ■ TCP/IP も標準実装されてインターネットに繋ぎやすくなった 24

25.

終了(おつかれさまでした) ● 就職して忙しくなったこともあり ○ 草の根 BBS 閉局 ● 世の中も ○ 草の根 BBS の時代が終わった ○ 2000 年代に入り商用 BBS の時代も終わった 25

26.

余談 ● インターネット掲示板でのトラブル・炎上問題 ○ 「昔通った道」 ■ 既視感 ■ 生暖かい目で見ていた 26

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月日は流れ(2014 年頃) ● ふと思い立って ○ 地元開催の勉強会を探してみた ● たまたまセキュリティ・ミニキャンプを見つけた ○ 地元の情報セキュリティ勉強会の復活を兼ねて開催された回 ○ 運よく社会人も座学は参加 OK だった ● 約 20 年ぶりにオフラインの集まりに参加 27

28.

その後 ● 地元のみならず全国各地に遠征するように ○ 一時期は地元より東京に高頻度で出没 ○ 2018 年頃から地方に出かけることが増加 ■ 「MySQL 8.0 の薄い本」を配り歩く ● コロナ禍でオンラインイベント・勉強会への参加が加速 ○ オフラインでは一度も参加したことがなかった吉祥寺.pm で半ば 常連化 28

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そしてついに(2023 年 6 月) ● 吉祥寺.pm33 で物理吉祥寺.pm 初参加! ○ 勢い余って LT まで ○ その原点は 35 年前にあった 29

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ちなみに ● 吉祥寺の隣、三鷹には NTT 技術史料館がある ○ https://hct.lab.gvm-jp.groupis-ex.ntt/access/index.html ○ このあたりの時代に関する展示もある(はず) ■ 実は一度も行ったことがない 30

31.

最後に一句 ● 時を超え つながる先は 吉祥寺 31