安楽死・医師介助自殺の倫理

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December 02, 23

スライド概要

第11回難病医療ネットワーク学会学術集会 大会長講演で使用したスライドです.

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岐阜大学大学院医学系研究科脳神経内科学分野 教授

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各ページのテキスト
1.

死を望む人に私達は何をすべきか 若い医療者に何を伝えるべきか 岐阜大学大学院医学系研究科 脳神経内科学分野 下畑 享良 本講義に関するCOIはございません

2.

本講演の目的 • 病棟でしばしば「死にたい」と話される患者さんに遭遇 する.そのとき患者さんや若い医師にどのように声を かけたらよいか迷う. • 難病医療における大きな問題である安楽死・医師 介助自殺の倫理を,自己決定をキーワードとして考え たい.

3.

この問題を明確に意識させられたMSA患者の スイスでの医師介助自殺(PAS)の報道 Physician-Assisted Suicide NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」2019年6月2日

4.

死にたいと望むALS患者に 2人の医師が金銭で殺害を請け負い 胃ろうから薬物を注入した嘱託殺人事件(2020.8) その発端となった51歳女性の twitter 投稿

5.

ABEMA prime (https://www.youtube.com/watch?v=azb6MEh1NPg) 医学部の学生に対する質問でも 同様の意見は少なくない. また「安楽死についての議論を 日本でも始める必要がある」と いう声を耳にするが・・・ CIDPの患者さん(2022.11)

6.

難病の 倫理的問題 ALSを例として 安楽死と医師 介助自殺の 倫理

7.

患者・医療者が悩む臨床の場面 ① 告知 ② 治療の自己決定 ③ 人工呼吸器の装着 ④ 人工呼吸器の離脱 ⑤ 積極的安楽死・医師介助自殺

8.

臨床倫理的問題①告知 約3年 呼吸筋麻痺 =死 発症 人工呼吸器 告知の問題 約10年 ① 病名告知 ② 真実告知(例:胃ろう,人工呼吸器が必要) 告知の目的は?条件は?

9.

告知の目的と条件 目的 患者さんが今後,より良い人生を送る ため,充実した人生,生きている間に これもやりたい,あれもやりたいと思う ことをしていただくため 条件 ① 患者さんと医療者の信頼関係が できていること 新潟大学脳研究所神経内科 椿 忠雄 初代教授 ② もっと大事なことは,この患者さん と自分とが一体になって生きてい こうという覚悟ができていること

10.

②治療の自己決定 約3年 呼吸筋麻痺 =死 発症 人工呼吸器 告知の問題 胃ろう,人工呼吸器 の自己決定 約10年 ① 患者の自己決定能力が保たれて いるか? ② 医療者は患者をいかに支え, 自己決定を行っていただくか?

11.

「自己決定能力」の判断をどう行うか? Prof. Bernard Lo UCSF

12.

「自己決定能力」の5つの構成要素 1.選択する能力とそれを相手に伝える能力 2.医学情報を理解し,自分自身の問題として把握 する能力 3.患者さんの意思決定の内容が本人の価値観や 治療目標に一致 4.うつ,妄想,幻覚の影響なし 5.合理的な選択

13.

Shared decision making(協働意思決定)により 治療方針を決める ① 医学的に正しいエビデンス (医師の価値観) ② 患者・家族の望むもの (患者・家族の価値観) 2つの価値観を ともに共有 最良の意思決定・ 合意形成を目指す

14.

日頃感じる協働意思決定の難しさ 1. 医学的に正しいことと,患者が納得することは必ずしも イコールではないのではないか? 2. 医師が述べた医学的に正しいことを選んでもらうことが ゴールになっていないか? 3. 医師がエビデンスを説明して患者が追認すれば, それを患者の自己決定とみなしてないか?

15.

臨床倫理的問題③人工呼吸器の装着 約3年 呼吸筋麻痺 =死 発症 人工呼吸器 告知の問題 約10年 人工呼吸器装着の = 生きるか死ぬかの 選択の問題 問題 (尊厳死・安楽死)

16.

尊厳死とは • 一定の状況になったら自分の意思で延命措置を 拒否して良いとする日本独特の考え. • ただし患者側から生まれた概念でなく,病院の終末期 医療に批判的な在宅医や施設の医師から,患者に 向けて説き拡げられた概念. • その後,医療制度の存続(コスト抑制)のために, 一部の病院の医師が賛同している. 児玉真美.安楽死が合法の国で起こっていること

17.

臨床倫理的問題④人工呼吸器の離脱 約3年 発症 呼吸筋麻痺 準備が行われている 従来のALS観 人工呼吸器は離脱可能か? 人工呼吸器 装着 呼吸療養生活 約10年 発症 Minimal communication state 全随意筋 麻痺=TLS

18.

臨床倫理的問題⑤安楽死・PAS PAS: physician-assisted suicide NHKクローズ アップ現代 (2017年9月26日) スイスで医師介助自殺(PAS)を受けた米国人ALS男性 医師が2500年守ってきたヒポクラテスの誓い「依頼されても 人を殺す薬を与えない」に反する行い

19.

小括1 1. 告知と治療の自己決定には自己決定能力が, 人工呼吸器の装着・離脱には生き方・死に方の問題が 密接に関わっている. 2. 「難病と安楽死・PAS」の現状を学ぶ必要がある.

20.

難病の 倫理的問題 安楽死と医師 介助自殺の 倫理

21.

1.用語の確認

22.

安楽死の語源 • euthanasia(ラテン語)を訳したもの. • 良き(eu)+ 死(thanatos)の意味. • 助かる見込みのない病人を,本人の希望 に従って,肉体的苦痛の少ない方法で, 死に至らせること.

23.

用語の定義 (①+②=広義の安楽死) ① 狭義の安楽死(積極的安楽死) 医師が患者に致死薬を注射して患者の生命を終結させること. ② 医師による自死介助(医師介助自殺/医師幇助自殺) 医師が患者に致死薬を処方し,患者が自らそれを服用して 生命を終結させること. ③ 生命維持治療の中止 臨床上の方針として,生命を維持するためのさまざまな治療を 中止すること(Withdraw),あるいは開始しないこと(Withhold).

24.

2.安楽死の現状 オランダ・カナダを 中心に

25.

安楽死(狭義)と医師介助自殺が行われる国々 ① 「安楽死」が合法である国 オランダ(世界初:2002年),ベルギー,ルクセンブルグ, カナダ(2016),オーストラリア(ヴィクトリア州) ② 「医師介助自殺」のみ認められている国 米国オレゴン州など8つ州と首都,スイス

26.

① オランダ 安楽死法の要件のうち重要な2点 1. 医師が患者の苦痛が永続的で耐え難いもので あると確信していること. 2. 医師および患者が,患者の病状の合理的な 解決策が他にないことを確信していること. • 死を医師の管理下に置く「死の医療化」 • 「闇の安楽死(すべり坂)」防止のための透明化

27.

「すべり坂」=本人の意思に反した安楽死 一歩足を滑らせたら,どこまでも転がり落ちる • 安楽死が公共政策化すると, 障害などを抱えた弱い立場に ある人が,本人の意志に反して 家族や社会の負担とされ,被害 を受ける恐れがあること. • オランダでは生じていないと 生命倫理学用語(喩え) 言われていた・・・

28.

オランダにおける安楽死は急増し, 全死亡者の4.4%が安楽死(2017) 2021 7666! 松田純.安楽死・尊厳死の現在

29.

認知症患者の安楽死が増加している! 安楽死はどの病期で 行われるか? 初期段階が166人 進行期は3人のみ ※ 進行後は,医師に本人の死ぬ決意を示せなくなくなるため 初期に行いたいという本人の希望がある.

30.

2012からの8年間で,ALS患者の25% (1014 /4130人)が安楽死・PASを選択している より若く,高学歴であった van Eenennaam RM et al. Lancet Neurol.doi.org/10.1016/S1474-4422(23)00155-2

31.

安楽死を希望したALS患者からの 「安楽死後臓器提供」が行われ増加している! 2018年5月 オランダ • 安楽死と臓器提供の両方を自己決定した患者に行われる. • 「避けられない死に意味を与え,必要とされる臓器提供の 供給源となりうる(抄録)」 • オランダ,ベルギー,カナダ,スペインで合法化. • 自分の意志を表明できないひとがドナーになる可能性は?

32.

安楽死を望む理由は変化している 肉体的 苦痛 精神的 苦痛 • • • • 認知症 難病 自立の喪失 尊厳の喪失 生きる意味の喪失 迷惑をかけたくない • 安楽死肯定論は「自己決定権」を根拠としている. • 「自己決定」の名のもと,「対症療法,緩和ケア,QOL向上」が軽視 され,安楽死が安易に選択されるようになった.

33.

オランダでは「すべり坂」が起きた! • 倫理学者テオ・ボウア (もともと安楽死合法化に尽力した) • 「オランダでは『すべり坂』が起きた」 「同じ轍は踏むな」と他国に警鐘を鳴らす

34.

② カナダ 2016年の合法化ながら急進的/短期間で急増 • 2016年,MAID(Medical Assistance in Dying)として, 積極的安楽死+PASを合法化. • 「安楽死は死ぬときに医療の助けを得ることであり, 緩和ケアと変わらない」という立場.つまり,日常的な 終末期医療のひとつの選択肢として合法化された. • 医師だけでなく,上級看護師(ナースプラクティショナー) にも安楽死の実施を認めた(規則の緩和). 児玉真美.安楽死が合法の国で起こっていること

35.

カナダでは安楽死と緩和ケアが混同されている • 医療や福祉を十分に受けられない人たちの安楽死の 申請が医師らによって承認される事例が報道され, 問題になっている. • 適切な支援があれば生きられる人に安楽死が認められ ることに憤る医療者も多い. • 安楽死と緩和ケアが混同され,医療者が患者の苦しみ に向き合わないという批判がある.

36.

3.医師介助自殺の現状 -スイスを中心に- physician-assisted suicide (PAS)

37.

スイスにおける介助自殺者は急増し, がんが42%,ついで神経変性疾患が14% 松田純.安楽死・尊厳死の現在

38.

スイス: 民間団体による PAS は外国人にも行われる 1. スイスでは特別な法律が制定されていない. 2. 外国人に対しても行われ,自殺ツーリズム (タナトス・ツーリズム)と呼ばれている. 3. 民間団体が外国人のPASを受け入れている. Dignitas(1998), Life circle(2011), Pegasus(2019)

39.

ラディカルになっていく自殺ツーリズム • 「85歳以上の人が熟慮の末,死にたいと 言うなら,私は邪魔したいとは思わない」 • 人生はもう完結したと考える人や,家族 の負担になることを案じる高齢者への PASを「理性的自殺」などと称して行って いる. 医師エリカ・プライシク (Life circle の立ち上げ) NHKの番組のMSA患者の PASを行った医師 • スイスに来ないでも世界中でPASができ るようにすべきと主張している.

40.

小括2 1. 安楽死の目的は,肉体的苦痛の解放から,精神的 苦痛の解放に変化した. 2. 認知症や神経難病患者における安楽死が増加して いる. 3. 安楽死は「自己決定権」を根拠として行われている. 4. 安楽死・PASを合法とした国で「すべり坂」が起きて いる.

41.

4.難病患者の自殺の 是非を考える

42.

「死」とは何か シェリー・ケーガン教授(66歳) イエール大学哲学教授 道徳・哲学・倫理の専門家.

43.

ケーガン教授: 難病において自殺という選択肢は正当になりうる • 自らの状況について明晰に考えた上で,生きる価値の ない人生を送る可能性が圧倒的に大きい場合,合理的な 判断となりうる. • 明晰な考えができない=自殺願望に取り憑かれている. • 十分な治療やQOLを高める処置が行なわれることが条件

44.

ケーガン教授の考えに則った MSA患者における議論のポイント ① 自殺願望に取り憑かれ,明晰な 考えができなかった可能性は なかったか? ② 治療やQOLを高める処置は十分 に行われたか? ③ 本例の自殺可能点のポイントは 早すぎたのではないか?

45.

嘱託殺人で亡くなった ALS患者における議論のポイント • 安楽死を望んでいたことばかりが注目されているが, SNSでは趣味について語ったり,難病患者を励ました りしていた. →死を望む気持ちは揺れていることを認識すべき. • 必死に生きようとしていたが,NHKの安楽死の番組を 見てから,急激に死の方向に想いを寄せていった. →揺れる気持ちをいかに支えるか. 見捨てられる「いのち」を考える ハートネットTV(NHK)

46.

CIDP患者における議論のポイント 家族の想いもきわめて重要. 安楽死は個人だけの問題では ないことを認識すべき.

47.

5.安楽死についての個人的な疑問

48.

安楽死への疑問 1. 自己決定権はどこまで許されるのか? 2. 自立の喪失は安楽死の理由になるのか? 3. 精神的苦痛は安楽死によってのみ解決される のか?

49.

1.自己決定権はどこまで許されるのか? 現代は個人の自己決定権が絶対視 され,社会的,文化的文脈が軽視・ 無視され,患者の家族や医療者な どと患者の関係など,関係のなかの 医療という視点がない (個人の自立は関係性によって 支えられることを認識すべき) レネー・C・フォックス (米国.医療社会学者)

50.

関係性,すなわち 残された家族や友人に目を向ける大切さ • サバイバー症候群: 安楽死・PASは,残された家族や友人に「もっと何かできた のではないか」と果てしない自問と自責を背負わせる. • 「自己決定する個人」は「関係性を生きるひと」でもある. • 患者も医療者も,家族や友人にも目を向ける必要がある.

51.

2.自立の喪失は安楽死の理由になるのか? • 「自立」とは,依存しなくなることだと思われ がちです.でも,そうではありません. 「依存先を増やしていくこと」こそが,自立な のです. • これは障害の有無にかかわらずすべての 人に通じる普遍的なことだと私は思います. 熊谷晋一郎 東京大学准教授 脳性麻痺という障がいを持ちながら 小児科医として活躍. 誰もが誰かの世話になり,お互いに依存しな がら暮らしていると考えて良いのでは?

52.

3.精神的苦痛は安楽死によってのみ 解決されるのか? • 当然,そのようなことはない. • 「安楽死を求める人々は,この状況で生きるより死んだ ほうがマシと思っているだけで,本当に死にたいのだと 思い込むことには,私達は警戒しておく必要がある」 (医師リヴカ・カープラス) • 医療者は十分な緩和ケアのスキルを高めるべき.また 患者さんも,病気へのレジリエンスを高める必要がある

53.

例:機能障害が高度であっても,その生活に満足し, QOLを維持し,生きる意欲を持つALS患者さんがいる Neurology. 2019 Sep 3;93(10):e938-e945

54.

「死を望むひと」に医療者は何をすべきか? 1. 人としてなぜ死にたいのかを理解し それを思いとどませること 2. なんとしてでも生きてほしいと呼び かける周囲の人々を励ます 3. 延命処置を受けた人たちが何を 成し遂げたか,医療者はそれを語り 岩田誠東京女子医大名誉教授 継ぐ使命がある(ナラティブ) 医(メディシン)って何だろう? (2022)

55.

嘱託殺人で亡くなったALS患者が 死を求めた背景を考えてみると・・・ 1. なぜ24時間介護のために,17もの事業所のヘルパーを 利用せざるを得なかったのか? 2. なぜ男性ヘルパーによる入浴介助を受け,大きな屈辱 を感じざるを得なかったのか? 「死にたい」という所だけ取って,安楽死の是非を議論する 前に,その人が死にたい理由と,尊厳を持って生きるため どのように支えるかを議論すべき. 安藤泰至ら.見捨てられる<いのち>を考える

56.

自分が若手医師に伝えていること 1. 「死にたい」はむしろ「生きたい」の裏返し,SOS反応と 考えてみよう. 2. 「自己決定だから仕方がない」と安直に考え,向き合わ ないのでなく,自己決定の理由や背景を理解しよう. 3. 十分な治療やQOLを高める処置を心がけよう.

57.

小括3 1. ひとの気持ちは単純なものでなく,揺れて当然で あることを認識する必要がある. 2. 精神的苦痛は安楽死によってのみ解決されるもの ではないことを伝える必要がある. 3. 生命倫理/医療倫理を学び,考え,そして若い人に 伝える必要がある. ご清聴ありがとうございました!