「家康の城」連載終了記念ライブ

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December 01, 22

スライド概要

攻城団に連載中の「家康の城」の最終回にあわせて、著者のたかまる。さんをお招きして生放送をおこないました。
その際に使用したスライドです。
https://youtube.com/live/AWm7SjtN4gY?feature=share

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関連スライド

各ページのテキスト
1.

連載終了記念LIVE

2.

たかまる。さんの ご紹介 1974年、斎藤道三、織⽥信⻑が居城とした岐⾩に⽣まれる。 幼少より岐⾩城を眺めながらすくすく育つ。 ⼤学院卒業後、姫路城で⽇本100名城スタンプ帳を購⼊して以来、 本格的にお城にハマる。 国宝⽝⼭城天守のある愛知県⽝⼭市に居を構えたのをきっかけに、 2016年より「たかまる。」として活動を始め、現在に⾄る。 攻城団ブログにも多数記事を寄稿してくださってます

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今回の連載 対象: 岡崎城、浜松城、駿府城、江⼾城、⼆条城、名古屋城の6城 内容: 築城・改修の背景、縄張り、遺構の紹介などを家康を切り⼝に紹介

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岡崎城 岡崎城は家康が誕⽣した城で、今川の⽀配から独⽴した城でもあります。 その後は三河を平定して領国経営の拠点としました。そういう意味では 徳川家康にとっては特別な存在だったともいえるでしょう。まさに徳川 家康の⼈⽣がスタートしていった城です。 2023年のNHK⼤河ドラマ「どうする家康」でも岡崎在城時代の家康に ついて詳しく書かれるものと思われます。これを機に家康⼈⽣をスター トさせた岡崎城をくまなく散策してみてはいかがでしょうか。 • 家康出⽣の城 • 桶狭間の戦い後に、岡崎城で独⽴した • • ただし家康時代の岡崎城の姿は不明 築城主の⻄郷頼嗣(さいごうよりつぐ)って誰? • 三河国守護・仁⽊⽒の守護代 • 平岩城(明⼤寺古屋敷)の砦が岡崎城の前⾝

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浜松城 武⽥侵攻に備えたとはいえ、家康が浜松城に居城を移したことは転機に なったと⾔えるでしょう。古城を取り込んで⼤拡張し、新たに「浜松 城」としたのです。武⽥旧家⾂の取り込みによる築城術の進歩も⼤きな 変化と⾔え、浜松城での17年間は知識や技術、戦略や戦術を蓄えるとて も⼤切な時間だったように思います。 単なる「出世城」ではなく、当時の家康がどんな思いで浜松城を築城し たのかを想像しながら遺構を探してみるものおすすめです。 • 家康にとって約17年間の居城(29〜45歳まで) • ⽅形館から⼤拡張&⼤改修 • 地名を「引⾺(ひきま)」から「浜松」に変更 • なぜ今川⽒は引⾺城でよしとしたのか? • 三⽅ヶ原の戦いの舞台のひとつ • ここも出世城 • 家康の居城であり、交通の要衝だから重⾂が配置されただけ?

6.

駿府城 駿府城は家康が築城した近世城郭ですが、⼩牧・⻑久⼿の戦い直後に築 城したことや⽴地を考えると対秀吉戦略の⼀つと考えられます。また、 発掘調査によって発⾒された天正期の天守台⽯垣は家康築城期のものと も考えられる遺構で、当時を知ることができる⼤変貴重なものです。駿 府城公園は堀や⽯垣が良好な状態で残っているほか、櫓や⾨も復元され 当時の姿を体験できるので、ぜひじっくりと散策してほしい城です。 • 家康にとってはじめての⽯垣づくりの近世城郭 • 五カ国⼤名時代と⼤御所時代、⼆度の居城 • 今川時代は⼈質じゃなくて厚遇された証拠? • ⼩牧・⻑久⼿の戦いの影響 • 安全確保と北条との同盟強化 • 天正期の天守台⽯垣は誰が築いた?

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江戸城 家康は将軍宣下ののちに公儀普請(天下普請)によって江⼾において⼤ 規模な⼟⽊⼯事を進め、江⼾城を総⽯垣で信⻑・秀吉の城づくりである 「織豊系城郭」と、武⽥流や北条流である東国の城づくりを融合させた 城郭の、将軍の城にふさわしい形としました。 江⼾城は50年以上の⻑きにわたって築城がすすめられた世界に誇る⼤城 郭です。徳川家康が後世に託した城と⾔えます。 • 太⽥道灌が築いた城? • • 関東移封後に家⾂団の再編成 • • のちの幕藩体制のシミュレーションに 本格的な改修⼯事は1603年(慶⻑8年)の将軍宣下を受けてから • • 江⼾が寒村説は現在は否定 将軍の城として天下普請(御⼿伝普請) 3つの天守、4つの天守台

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二条城 ⼆条城は、徳川家康が築いた将軍のための宿泊所であり、儀式典礼の城 です。家康が築いた当時の⼆条城は⼤きく改修されているため⽬にする ことはできませんが、資料などによりさまざまなことがわかります。 単郭というきわめてシンプルな城の構造ではありますが、⽯垣づくりで 多⾨櫓を周囲にめぐらすと同時に内部は格式⾼い築地塀を設けるなど、 防御と格式を兼ね備えたつくりです。さらに天皇の御所からでも⾒えた であろう五重の天守は⽩漆喰と⽡屋根をまとってそびえ⽴ち、徳川将軍 家の象徴となったのです。 • たくさんある⼆条城うち、最後の⼆条城 • 聚楽第の頃の徳川家康屋敷は南⾨の前にあった • ⼤和郡⼭城天守を移築? • 寛永期に後⽔尾天皇の⾏幸にあわせて⼤改修 • 「洛中洛外図屏⾵」に描かれた⼆条城 • 将軍の城だけどほとんど使われなかった城でもある

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名古屋城 徳川家康による築城技術の最⾼到達点として、また⼤坂包囲網の最終形 態として名古屋城を築城しました。それまでの尾張の中⼼地・清須城か ら、減災や交通の利を考慮して名古屋台地に築城して移転するなど、将 来を⾒据えた築城を⾒るとき、名古屋城の存在の⼤きさを改めて感じま す。 ⽊造復元に向けて課題の多い名古屋城ではありますが、本丸御殿の⽊造 復元も完了し、今でも徳川家康の思いがたくさん詰まった名古屋城を再 度⾒直す機会ではないでしょうか。 • 九男・徳川義直の居城として天下普請で築城 • • 家康⾃⾝が地選をおこなう(清洲越し) ⼤坂包囲網の総仕上げ? • 江⼾時代の城下町に求められる要素=城下町の発展可能性 • 天守台⽯垣は加藤清正が担当 • 延べ床⾯積4424.5㎡は⽇本⼀(姫路城天守の倍)

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徳川家康ゆかりの城めぐり 獲得⼈数:413⼈ 挑戦⼈数:1871⼈

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まだまだつづく便乗企画! 1. たかまる。さんによる連載「家康の合戦」 近日スタート予定 2. 榎本先生による連載「家康の謎」 来年1年間の予定 3. 年末ライブ「どうした家康」 12月31日の午後に配信!(時間無制限?)